みゆさんのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

なぜ自分のことが嫌いなのか |_・)

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こんにちは、みゆさんです ( ꒪⌓꒪)

あなたは自分のことが好きだろうか、それとも嫌いだろうか?

私は嫌いだとは明確には思ったことはないけれど、恥ずかしい存在だとはずっと思っていたかもしれない。😳

世の中には自分のことが嫌いだという人がけっこういるようだ。

それはなぜなのだろうか?

自分には短所しかないと考え、自己評価が著しく低く、つねに自己卑下している。

それにはある「目的」があるからである。

「自分を好きにならないでおこう」と決心しているのである。😨

「自分を好きにならない」という目的を達成するために、自分の長所を見ないで短所だけに注目しているのである。

それは私たちが他人から嫌われ、対人関係の中で傷つくことを過剰に怖れているからだという。

それには他人と関わらないことが有効なわけだから、自分の短所を出来るだけ見つけ、自分を嫌いになり、対人関係に踏み出さないようにしているというわけである。それに万が一他人に拒絶されたとしても、自分の性格が悪いからと理由付けすることも出来る、逃げ道を作れるからである。😥

他の例をあげると、赤面症で恥ずかしがり屋な女性がいて、その人は人前で話すと赤面してしまうのが悩みだという。😡

この女性にもちゃんと「目的」があって、赤面症でいるのだ。

この人は、赤面症がもし治せたら好きな男性に告白しておつきあいしてみたいと言っている。でも治らないから仕方がないと諦めている。

じつは、この女性には赤面症であることが必要なのである、なぜなら赤面症であることを理由にして、怖い思いをして好きな人に告白しなくて済むし、フラれて傷つかずに済むからである。

この女性も対人関係の中で傷つくことを回避するために、赤面症でいることを選んでいるのである。

しかし、人は1人では生きられない。🌲

必ず誰かが必要であり、対人関係の中で生きていかなければならない。

そうするには、今の自分を受け入れつつ、前に一歩踏み出す「勇気」が必要なのだ。

自分を好きになるには、「今日から自分を好きになる」と決心することから始まる。

「自分が嫌い」をやめて、「自分を好きになる」を自分で選択することが出来る。

私たちには、そうすることが出来る自由がある。🗽

そう、私たちはいつでも自分を変えられるし、いつからでも新しい人生をスタートさせることが出来るのだから。

 

みゆさん σ(´Д`●)

トラウマは存在しないらしい (๑˃̵ᴗ˂̵)و

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こんにちは、みゆさんです (๑•́ ₃ •̀๑)

トラウマって大小の個人差はあれど、誰にでもあると思っていたし、みなさんもそのように思うのではないだろうか。

しかしトラウマというのは存在しないらしいのだ。🙀

これはどういうことなんだ?❓

例えば、ある人が何年も自宅にこもりっきりで、本人は外に出たいと願っているし、仕事も持ちたいと思っている。しかし彼は外に出ることを非常に恐れており、一歩でも外に出ようとすると、手足がガクガクと震え出し、動悸が始まるという。一種の神経症のような状態ともいえる。

何が原因でこの人はこのようになってしまったのかと考えると、一般的に考えられるのが、育った家庭環境に問題があり、親に虐待を受けていたとか、学校や職場でイジメを受けた経験であったり、逆に甘やかされすぎて育った、などであろう。

つまり過去に何か神経症を引き起こすようなトラウマの原因があると考えるのが普通である。

この人が外に出られなくなったのは、両親から虐待を受けて育ち、愛情を知らないまま大人になったからであり、だから他者と関わるのが怖いし、外に出られない。というストーリーは充分にありえる話である。🤔

しかし、このように「あらゆる結果には原因がある」と考えると、現在のわたし(結果)は過去の出来事(原因)によって決められるということになる。

しかしそうなると、私たちの現在、未来は、すべてが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものだということにもなる。

また、同じように両親に幼いころに虐待を受けて育った人でも、引きこもりにならずに社会生活を送っている人も沢山いるわけだし、すべての起こっている事象の理由を過去を原因として規定していたら、辻褄が合わなくなってくる。

そうなると、じゃあ現在の引きこもり状態、神経症で苦しんでいる現状をどう説明できるんだ?ということになる。🙄

そんなときは過去の原因を考えるのではなく、今起こっていることの「目的」を考えればいいという。

不思議に思うかもしれないが、今現在引きこもりになっている「目的」は何なのか?と考えるのである。

「不安だから、外に出られない」のではなくて、実は真逆で、

「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるということである。

驚くかもしれないが、「外に出たくない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情を作りだしているのである。😲

もちろんこれは本人が仮病をつかっているのではない。本人は本当に不安と恐怖におののき苦しみ、身体的にも震えや冷や汗や動悸などの症状が出ている。

まさに「原因論」と「目的論」の違いである。

トラウマ論はまさに原因論であり、フロイトが最初に提唱したものだが、今ある問題の原因が過去にあるとわかったところで、ただ慰めるだけで終わりである。

いわゆるトラウマに苦しむだけではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定するのではなく、経験に与える意味によって自らを決定することが大切なのだと、アドラー心理学では言われている。🌷

これがどういうことかというと、確かに幼い頃に両親から受けた虐待や、大きな災害に見舞われたという出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロとは決して言えないし、影響は強くあるけれど、その経験によってなにかが決定されるわけではない。

私たちは過去の経験にどのような「意味」を与えるかによって、自らの生を決定している。人生とは与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分である、ということである。🌳

もしこの引きこもりの人が「自分は両親に虐待を受けたから、社会に適合できない」と考えているとするならば、そう考えたい「目的」があるのだ。

それはおそらく「外に出ない」という目的であり、外に出ないために不安や恐怖を作り出しているということだろう。

じゃあ、なぜその人は外に出たくないのか?ここを疑問に感じるかもしれない。

もし私たちがこの人の親だったら、子供が外に出ず引きこもっていたら心配するでしょう。

そう、外に出ずずっと部屋に引きこもっていたら、親が心配する。つまり親の注目を一身に集めることができる。まるで腫れ物に触るように丁重に扱ってくれる。

ところがもし、家を一歩でも出てしまうと、自分は誰からも注目されない”その他大勢”になってしまう。誰からも大切にされない、人々の中に埋もれた見劣りするただのダメ人間になってしまう。

じつはこの理屈は引きこもりの人の多くに当てはまるという。

つまりこの引きこもりの人は自分の「目的」を成就させているということなのだ。

トラウマを肯定しすぎて、それを現在の問題の原因であると確定してしまうと、それはつまり「過去に支配される」という構図に自ずとなってくる。⏲

時計の針は決して元には戻せない。タイムマシンでもない限り、過去には決して戻れないし、すでに存在していないものなのに、その過去に縛られたままでは、この先ずっと幸せにはなれないということになる。

過去がすべてを決定し、過去が変えられないのであれば、今日を生きる私たちは人生に対してなんら有効な手立てを打てなくなってしまう。

その結果、世界に対して絶望的になり、人生をあきらめるような虚無主義ニヒリズム)に陥ることになる。💀

過去にどんなことが起きたとしても、大切なのは「なにがあったか」ではなく「どう解釈したか」である。

その出来事にどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくるというのである。

”人は変われる”ということを前提に生きてゆくならば、このような考え方がしっくりくると思う。

そう考えると、”うつになってしまったからもう仕事が出来ない”という状態も、「仕事にはもう行きたくない」という目的があって起こる身体症状なのかもしれない。

仕事にはもう行きたくない、と思うならば、さっさとその仕事をやめてしまえばいいわけだから、うつ病がきっかけでも何でも、会社に行かなくなって辞める方向に行くのならば、目的は達成したことになる。

「目的論」で考えていくと、もっと冷静に出来事をとらえられるようになると思う。

 

みゆさん (*´・∀・)

天才は地点Aから間をすっとばして地点Dへ着く(*´∀`*)

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こんにちは、みゆさんです |_・)

ここに貼り付けされている画像はレオナルド・ダ・ヴィンチである。そして彼の知られての通り、芸術、科学などにおいての歴史上の大天才である。

天才とは一体どんな物の考え方をするのだろうか?💡

例えばなにか行き詰まっている問題があるとする。そんな時に凡人は解決策を求めて論理的にA→B→Cと順を追って考えてゆくのに対し、天才はAから一気にDに行くのだそうだ。🚄

これは頭のいい人の思考法であり、天才的なひらめきを生む秘訣だという。

普通の人はものごとを考えるときに言語に依存する。

「自分は〇〇がいいと思ったんだけど、部長には△△がいいと言われた。部長が△△がいいと言った理由が□□だとしたら、□と△は矛盾してるよね、どうすればいいんだ。。。」

という風に、ゴチャゴチャと頭の中で言葉で話しながら考えようとするから、普通の人、つまり天才ではない凡人は、順を追ってA→B→Cと考えていくと、BやCで行き詰まるのである。💭

「今日の夜ご飯は何を食べよう?→昼はハンバーグランチを食べた→だから夜はさっぱりとしたものを食べよう」🍽

と言うふうに、順番に直線的に考えを展開していく。

ところが現実の事象は、順番に直線的になど展開しない。

そのいい例が「歩く」という動作である。🚶

 ”まず右足の足裏を地面から離す。そして左足に重心を移動して、右足を前に運ぶ”

しかし実際には、”右足裏を地面から離す”ために、”左足に重心を移す”、”右足の大臀筋を使って足を運ぶ”、”右足の膝が曲がる”、”足首が曲がる”、左足も関節を曲げる”、などの現象が同時に進むのである。

つまり「歩く」という動作1つとっても正確に言葉で正確に記述することなどできないのだ。

だから現実の事象は順次直線的に展開しないから、言葉で物ごとをそのように記述、思考することには限界があり、「考えれば考えるほど頭がゴチャゴチャしてきて混乱してくる、考えるのがイヤになる。。」ということになる。😫

現実は、いくつもの事象が絡み合いながら同時に複合的に展開している。

そして全体が部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しているのだ。

したがって、部分を順に追うだけでは全体はわからない。全体がわかることで部分がわかるのである。

もっとわかりやすい例をあげると、言葉もそうである。

「くもが見える」と聞いたとき、その「くも」が「雲」なのか「蜘蛛」なのかはわからない。☁🕷

しかし「くもが見える、向こうの山に」と言われたら、それが「雲」なのだとわかる。

向こうの山にくもが見えるという全体がわかって、部分である「くも」が「雲」だとわかるのである。

全体が部分から成り立っているだけではなく、全体と部分が双方向に関係している。

これを「ゲシュタルト」と心理学用語では呼ぶ。

そしてゲシュタルトによって事象を認識する能力を「ゲシュタルト能力」という。

天才とはこの能力が長けている人のことを言う。

何かの解決策を論理的に考えすぎて、部分を追っているうちに、部分の迷路に迷い込んでしまうのは、ゲシュタルトのできていない凡人なのである。

本当に頭のいい人はゲシュタルトが出来ているので、常に全体が見えているから、部分を順繰りに考えすぎて迷路にはまりこむことはなく、部分を追いつつ、その部分が全体とどう相互関係しているのか分っているのだ。😲

しかしこのゲシュタルト能力は、実はだれでも日常的に使っているというのをご存じだろうか?

例えば山登りに行って、珍しい色と羽の形の鳥を見たとする。しかし私たちはその初めてみた生き物を、ちゃんと鳥だと認識できる。それはなぜなのか?🐦🦉

もしも私たちが自分たちが見たことのある鳥だけを集めて、部分を集めて概念全体をつくって、鳥だと定義していたら、初めて見る鳥を鳥だと認識できるはずはない。

かといって「鳥とは羽で空を飛び、足が2本ある」のように先に概念全体を決めてしまったら、飛ばない鳥は鳥だと認識しないことになる。🐧

そうではなくて、個々の鳥という部分と、概念全体とが双方向に関係しているゲシュタルトであり、この能力によって私たちは初めてみる鳥でも鳥だとわかるのである。

ゲシュタルトができていれば、全情報を手に入れなくても、部分情報を手に入れただけで、それが何か一瞬でわかる。

森の中で鳥の姿が見えなくても、さえずりを聞いただけで鳥がいるとわかる。

あるテーマについてゲシュタルトができていれば、はじめて聞く話でも、そのテーマに関連した話なら、その話が何を意味するのか、自分にとってどう重要なのかが一瞬でわかる。

ゲシュタルト能力を高めていることが、頭のいい人の思考法であり、ひらめきを生む秘訣なのである。

ゲシュタルト能力を高めるには、世の中のあらゆる分野、事象に常に興味を持ち、アンテナを張り巡らし、知識として取り込んでいくしかないという。

そうしていけば、どんな問題が起こったとしても、ほんの少しの情報でA地点からD地点へ辿り着き、解決を導きだすひらめきを得られるようになるだろう。

 

みゆさん (*´∀`*)

なんのために働くのか?〈不安と恐怖に縛り付けられる〉( ꒪⌓꒪)

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こんにちは、みゆさんです (。☌ᴗ☌。)

いつも思う。世の中には自分の仕事が好きじゃない、でも我慢して働いてる、という人が実に多いなあと(私も今のパートの仕事はそれほど面白くないと思っている)。🙄

今ある現状の外にゴールを設定したとしても、そこに辿り着くまでの道筋が見えないものだから、未来に対して疑心暗鬼になり不安や恐怖を覚え、会社をやめられない状態がずっと続くことになる。😰

そう不安と恐怖、これは人々を現状に縛りつけ、人々の可能性を殺す、目に見えないドリームキラーである。😈

「なんのために働くのか?」まずはこれを自分自身に聞いてみよう。

「今の仕事が好きだから」「働いているのが楽しいから」、そんなふうに答えられるのなら素晴らしいだろう。

しかしこのような答えを出せる人が現代社会にどれだけいるのだろうか?

「なんのために働いているのかなんてわからないけど、働かなきゃならないから働いてるんだよ」

という感じの答えをする人は多いと思う。じゃあなぜ働かなければならないのか?と聞いてみよう。

「家族を養わなければならないからだよ」「だって、働かないと食えないじゃない」。

このような感じの答えにおおよその人が落ち着くと思う。

食うために働く、食うためにやりたくない仕事も我慢してやる、やめたら収入がなくなって食えなくなるから、今の場所で働いている。。。😭

つまりここでわかるのは「働かないと食えなくなる」という考えが人々に不安と恐怖心を与えており、ボトルネックになっていて、思い切った行動を阻害しているというのがわかる。

じゃあ具体的に「食えなくなる」とはどういう意味なのだろうか?🍙

一般的な意味での「食えなくなる」とは、収入がなくなり、家賃が払えなくなり、食べ物も買えなくなる、最悪の場合餓死する、というようなニュアンスだ。

だから人々はそうなることに不安や恐怖を抱き「会社は辞めたい、でも辞めて食っていける気がしない、しょせん自分は会社にしがみついて生きていくしかないのか。。」と考えるようになる。

「食えなくなる」という不安は多くの人にとって非常に強い恐怖であることがわかるが、確かに人類が600万年前に誕生してからというもの、歴史の殆どを人類は飢餓の恐怖と共に生きてきたのは事実だ。

脳の扁桃体には古代から生命維持のための戦略として飢餓への恐怖が強く刻み込まれているという。

それが現代においても「仕事がなくなる」という想像をすると引っ張り出されてしまうのである。

しかし現代の日本には農耕時代以前のような飢餓の恐怖はなく、仕事がなくなったからといって、数百万年前の人類のようにすぐに餓死する可能性はまずないだろう。

例えば自分の夢のために会社をやめて自分で起業したが、思うように利益が出ずに会社をたたんだとしても、すぐに食えなくなったり餓死したりすることはない。🖐

次の仕事が見つかるまでのしばらくの間は、スーパーやコンビニなどでアルバイトすればよいだろう。贅沢は出来なくても生活は出来るはずだ。その間にまた本気で頭を使い、本気で行動し、ゴールに向かって再出発すればよい。🏃🏻

万が一病気などで働けないのならば、生活保護制度がある。

役所が圧力をかけてきて、受給させないように妨害してくるという話も聞くが、本当に生活保護が必要ならば、申請を支援してくれるNPO団体などに相談すればいい。よく生活保護を受けられずに孤独死や餓死する人のニュースを聞くが、それはそのようなNPOなどのサポートをしてくれる存在を知らなかったり、相談できる人が周りにいなかったり、情報にアクセスする術を知らなかったというケースである。

だから相談できる家族や友人がいたり、必要な情報を入手出来る環境にあるのなら、現代の日本において、「食えなくなる」=「餓死」の危険性はないということである。

だからやりたいことをやるために会社を辞めようとして、上司に「辞めてどうするんだ、食えなくなるぞ」と脅されたとしても、まったく気にする必要なない。👆

「会社を辞めたら食えなくなる」というのはウソであり、「食うため」に働く必要などない。心から望む自分がやりたい目的のために、より多くの人々の役に立つために働くのが最も望ましだろう。🌟

「食えなくなる」という言葉を使うのをやめて、「一時的に収入が減る可能性がある」と言い換えよう。

ブラック企業などは人が持つ不安や恐怖を巧みに利用して搾取するというから、そんなものは幻想で実際は存在しないと自分に言い聞かせ、そんな場所からはさっさと出ていってしまおう。

 

みゆさん (´,,•ω•,,`)

夢(ゴール)は現状の”外”に設定する ╭(๑•̀ㅂ•́)و

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 こんにちは、みゆさんです ٩(๑´0`๑)۶

人は良いとか悪いとかに関係なく、今の現状が1番安心しており、居心地の良い場所(コンフォートゾーン)に留まっている。

自分の働く会社に対して色々文句を言い、給料が安いからとファッションはいつもプチプラやファストファッションで、外食はファミレスが多いというような人でも、何だかんだ文句や不満を持ちながらも、自分にとって居心地の良い環境なのである。♨♨♨

コンフォートゾーン(居心地の良い場所)から出るということは、普段はユニクロやスーパーで服を買っている人が、デパートの服売り場に行くとなんだか普段とは違う違和感みたいなものを感じ始め、これがシャネルやルイ・ヴィトンなどの高級ブランドの専門店に行くとなると、緊張したりソワソワしてきて、早くその場から立ち去りたい気持ちになるようなことである。😖

この普段は縁のないような場所に行き、ソワソワどきどきするというのはアラームが鳴っている状態であり、潜在意識からの警戒音で、「コンフォートゾーンから離れているよ。早くコンフォートゾーンに戻りなさい。自分の部屋へ戻りなさい」と促している状態なのである。🔊

この現象はあらゆる場面で起きます。人間にも動物にも起きます。

アフリカの草原を自由に駆け回っていたライオンが動物園の檻の中で暮らすようになり、人間から餌を与えてもらうようになり、自由に走ることもなく、ライオンらしい狩りをする必要もなく、ノラリクラリとしただらしない感じのライオンになってしまったとしても、不自由であっても、檻の中の暮らしがコンフォートゾーンになってしまったライオンは野生に返そうとしても、すぐに檻に戻ってきてしまうという。🦁

怖ろしいのが、犯罪を犯した人が刑務所の中がコンフォートゾーンになってしまうと、いくら出所できたとしても、塀の外がコンフォートゾーンの外ということになり、潜在意識からアラームが鳴ってしまうから、元の居心地のいい部屋に引き戻すために、犯罪をまた犯して再び刑務所に戻ってきてしまうそうだ。😱

常日頃、年収300万円で生きている人が、何かで年収1000万の収入になった時、本当なら嬉しいし、幸せなはずなのに、それを維持したいと考えるのが普通だと思うのに、年収300万円がコンフォートゾーンの人は、年収1000万になると居心地の悪さを覚え、コンフォートゾーンに戻されるために、無駄な買い物やギャンブルなどにお金を注ぎ込んだり、仕事でミスして信頼や仕事自体を失ったりするように仕向けて、元の年収500万の生活に戻ってしまう。。。😱

少ないお金で生きることが例え苦しくても、それがコンフォートゾーンになっていると、例えば宝くじで1億円当たったとしても、ソワソワドキドキしてコンフォートゾーンに戻りたくなるから、湯水のようにお金を使い、あっという間に散財させてしまうことが多いというのは有名な話である。😭

今ある状態が良いか悪いか、幸か不幸か、ラッキーかアンラッキーかなどは関係ない。潜在意識の目的はコンフォートゾーンに留まらせるという現状維持であり、どんなに未来に目標、夢を掲げても、ホメオスタシス(生体維持機能)のものすごい力により、今ある状態に引き戻されてしまう。

これに抗い、自分を変化させて夢を叶えるためにはどうしたらいいのだろうか?

それは「現状の外にゴールを設定すること」である。

例えば「今は会社の社員だが、行く行くは社長になりたい」という夢は、残念ながら元のコンフォートゾーンに戻される可能性大である。

なぜならば、今勤めている会社の社長になることは、現状の延長線上の夢に過ぎないからだ。

現状の外にゴールを設定するとは、今の自分ではそこに行き着くための手段がまったくわからない、というレベルの、いわば「とんでもない」「それって不可能なんじゃない?!」というくらいの大胆な今の現実とは懸け離れた目標を持つということである。

もし会社員の人で、食品会社のキャリアを活かしたゴールを設定したいならば、その会社の社長になるというゴールじゃなくて、「食品添加物を一切使わない和風ベースのインスタント食品を開発販売する会社を立ち上げ、ジャパニーズフードの素晴らしさを新しいスタイルで世界に発信し、飢餓に苦しむ貧しい国々には自社のインスタント食品を無償で提供する」というようなゴールもいいだろう。⭐

もし自動車メーカーでのキャリアを活かしたゴールを設定したいなら、「製造過程でも環境を汚染しない究極のエコ・カーを開発販売する会社を起業し、世界中の後進国に工場をつくり雇用を増やし、地球環境保護と貧困撲滅に貢献する」というゴールも考えられるだろう。✨

これを見ると、どう考えたって壮大すぎるし、自分には実現不可能だと思うかもしれない、だがしかし、ゴールはこれくらい現状から離れていなければ今の自分を変えることなんて出来ない。

大切なのは、現状から思いっきり遠いゴールを頭の中でイメージし、臨場感を持ってリアルに体感することを日頃から行い、あたかもその夢が今叶っているように、そのような自分になったかのように振る舞いながら生活することである。🌻

そうしているうちに、潜在意識でコンフォートゾーンにズレが生じて移動し、リアルにイメージしているゴールの世界がコンフォートゾーンに変わる。

すると現在会社で働いている場所がコンフォートゾーンの範囲の外になるということだから、潜在意識がコンフォートゾーンから離れているとアラームを鳴らし、今のコンフォートゾーン、すなわち夢の叶った世界、へ引き戻そうとするようになる。😲

そうなると、いま会社で社員として働いていることに居心地の悪さを感じ、そこから出たくて仕方のない衝動に駆られ、そのうち辞めることになるだろう。

そしてコンフォートゾーンの世界に到達出来るように、だんだんと少しづつ道筋が見えてくるだろう。🏞

私も昔経験があるが、学生時代からいつも自分が外国で暮らしている様子や、英語が流暢に話せるようになっている姿を想像していたら、未来に現実にそれが叶った。

この認知機能のメカニズムを利用して、なりたい自分になるのを叶えるのは、とてもストレスが少なそうだし、近道なような気がする。💡

とにかく、夢は現状の外に設定することが大切なのである。

 

みゆさん (。☌ᴗ☌。)

やりたいことを見つけたければ、”自分中心”を捨てる ╭(๑•̀ㅂ•́)و

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こんにちは、みゆさんです (๑•́ ₃ •̀๑)

ほんとうに心から自分がやりたいことを見つけるのは案外むずかしい。

「やりたいことを見つけなければ」というhave to(ねばならない)の発想ではなく、want to(したい)の気持ちがなければ、見つけることができない。

前にも記述したけれど、まずはとにかく本音にフタをしないこと。

自分に素直になって、真っさらな自分と向き合い、本当の自分の欲望を認めることであると言った。

しかし、本音がわかったところで、その本音をそのまま自分のゴールに設定してはいけない。

なぜなら多くの人の本音は、かなり抽象度が低く、自己中心的だからである。🤔

「社会的に高い地位を得て、みんながうらやましがる会社や家や著名人の友達を持ち、思いっきりチヤホヤされる」という願望には、自分だけの幸せしか含まれていない。

そして、この”自分だけの幸せ”というのも、実は真実ではなくて、人は自分だけが満足したからといって、幸せにはなれない。単なる優越感にすぎず、幸福感とは呼ばない。

他にも、「食べ歩きが趣味で、おいしいものを食べているときに幸せと思う」「ジョギングにはまっていて、会社から帰って、夜公園で走っているときに、気持ちいいし幸せだと思う」「社会人になってからボクシングを始めた。スパークリングでいいパンチが決まった日は続けてきてよかったと幸せになる」という例がある。

これらの”幸せ”は、本当に幸せとは呼べないかもしれない。☹

それは、「おいしいものを食べて満腹になる」「体を動かして気持ちがいい」というのは、原始的な古い脳の部分(扁桃体)の情報処理であり、サルやゴリラと変わらないということである。🐵🦍

これを例えば、食べ歩きが趣味でおいしいものを食べることが幸せという人が、「ほかの人たちにもいい店を知ってもらって、この幸せを感じてほしい」と考え、ブログでおすすめの店の情報提供をはじめたとする。そしてそのブログを読んだ人から「おいしかった!」とコメントが来て、嬉しいと感じる。

こうなるのなら、これはサルやゴリラの幸せから人間の幸せに近づいたということになる。

この幸せは自分だけではなく、他人が入っている。そして他人が入ったことによって、この人は今までに感じたことのない幸せを感じたのである。🌷

だから、ジョギングが好きで走っているときが幸せという人は、「自分は60代だが、これからもマラソン大会に出続けて、同世代の人たちに元気を与えるランナーになる」、ボクシングのスパーリングが決まったときが幸せという人は、「ボクシングの試合に出て、観衆に勇気を与えられるような戦いを見せる」ということに幸せを感じたら、人間の幸せに近づいているということになる。

自分以外の人も一緒に幸せになってこそ、人間の幸せであり、本当の幸福なのである。

「やりたいことがわからない」「自分が本気になれそうなことがみつからない」という人はなぜそうなのかというと、「自分中心に考えている」からである。

よく巷では「自分探し」という言葉がはびこっているけれども、「自分探し」の人たちの自問の世界には自分しかいなくて、他人がいない。😪

やりたいことを探す人たちは、幸福感のようなものを求めて、本気になれることを探すけれど、人間の幸福とは自分だけのものではなく、他人が幸福になってこそ自分の幸福なのだから、いくら「自分は何をやりたいんだろう?」と自分の世界だけで自問し続けていても、本気になれるものが見つかるはずがないのである。

「やりたいことがわからない」人が「やりたいこと」を見つけるためにおすすめだと言われているのが、「自分が何をすれば他人が喜ぶだろう?」という視点で考えることである。これが1番近道だという。

もしスイーツ男子の人ならば、自分だけが食べて喜ぶのではなく、いろんな人のためにスイーツを本気で手作りしてみる。そして多くの人に喜んでもらい、「みんなの幸せが自分の幸せ」と体感できる。🍰🍮

起業がしたくて事業プランを考えているのに、成功するビジネスモデルが見えてこないという人ならば、例えば、自分が人の話を聞いて情報を整理することが得意で、それに対して今まで喜ばれた経験があるなら、まずは会社の同僚で提案書や報告書の作成に戸惑っている人がいたら、書類作成を手伝ってあげる。そしてそれによって相手が喜ぶことで幸福感を経験する。それをくり返していくうちに、社内で情報整理や書類作成のプロフェッショナルとして認められ、その道のプロとして起業するというゴールがみえてくるかもしれない。

何をすればいいか分らないという人は、自分中心の枠の中で考えているからであり、自分が何をすれば人々の役に立てるかを考えるべきなのだ。

自分が何をしたいのかという自分中心の発想は捨て、「自分が何をすれば人々は喜ぶだろう?」という発想に切り替えれば、自分が本当に望むやるべきことが見えてくるはずである。

 

みゆさん ٩(๑´0`๑)۶

我慢は危険らしい |д・´)

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こんにちは、みゆさんです。٩(๑•̀ω•́๑)۶

今の仕事と職場が自分に合ってない。かといってやりたい仕事が特にあるわけではないんだけれど、毎日「仕事に行きたくない」と思い、「やりたくない」と思いながら仕事をしている。。。😣

こんな人はけっこういるんじゃないだろうか。。。

私は人生ほとんどこんな感じで今まで過ごしてきたと思う。😰

「やりたくないことをやっている」から、いつもイライラしてるし、スッキリしないし、ストレスも貯まるし、集中力も続かないし、生産性も上がらないし、発想力も乏しくなる。

「やりたくないことをやっている」から、やる気が続かないし、パフォーマンスも上がらない。

「やりたい」(want to) ではなく、「やらねばならない」(have to) ばかりしているから幸せになれない。

本当は人は常に「やりたい」(want to) を求めて生きていくべきだとよく言われているけど、現実は「大人になれば、やりたくないことだって我慢してやらなければならないことだってある。人間やりたいことだけをやって生きていけるなんてウソだ。」と思う人が大半だろう。

しかし仕事でも勉強でも「やらされ感」でやり続けることは非常に危険だという。⚠

なぜなら、「やりたくないけど、やらなければならない」「我慢しないと、食っていけない」という考えが、私たちのセルフ・エスティーム(自己尊重)を深く傷つけるからである。

「やらされ感」「強制されている感」というものは、セルフ・エスティーム(自己尊重)を傷つけ、潜在能力を大きく低下させるという。😱

「やらされ感」によって私たちの無意識に、「自分には他に選択の余地がない。なぜなら自分は大した人間じゃないから」というメッセージが刷り込まれるからである。

しかし心の奥底の無意識の領域では確実に「やりたくない」という思いが存在している。

そして、無意識は本心を実現するように働き出すから、まずは仕事の能率が落ちるし、ミスを連発したり、事務処理の仕事を溜め込み時間を取られたり、風邪をひいてダウンをしたり、というようなことが起こってくる。そしてどんどん仕事ができない状況に追い込んでいくのである。😱

「ねばならない」(have to)はモチベーションの観点でも、セルフエスティームの観点でも、何一ついい影響を与えないのだ。

日本の企業の会社員は大半の人が、やりたくないことをやらされ感で嫌々やっているタイプなのだから、組織のパフォーマンス自体が悪くなる。

組織の1人1人が「やりたくないことを嫌々やるかわりに、責任は取らないよ」という姿勢になる。😗

日本の組織が”責任の所在が不明”だとよく言われるのが、このような「我慢をしている代わりに責任は取らない」という考えが常識化している背景があるからなんだそうだ。

日本人はなぜだか、「我慢する」とか「辛抱する」ことが美徳だとみなされる文化があるが、「やりたくないこと」をやって成長できるなんて大ウソである。💢

”我慢することで成長できる”という考えを押しつけてくる人がいたら、その人自身がやりたくないことをやってきて人生の大半を浪費してきたから、その考えをこちらにも強制してきているだけである。

だから、やりたくないことはやめるべきなのである。

それにはいい方法がある。やりたくないことをやめる思考実験である。

① まずやりたくないことを5個~10個くらい書き出す。それ以上でもかまわない。中身は家庭のことでも仕事のことでも何でもいい。

② 次にそのなかで1番やりたくないことを選ぶ。

③ そしてその1番やりたくないことをやめてみる、ということができたらいいけれど、実際は躊躇してしまうだろうから、まずは思考実験のなかでそれをやめてみる。

もし会社に行きたくないと思っているのならば、その行きたくない理由を①と②で特定する。そうするとやりたくないことだらけだ、と思っていたのが、本当は我慢の元は1個から数個の原因に集約されることがほとんどである。

そのことを知るだけでも少し心が軽くなるだろう。💓

次に③でやめたらどうなるか、やめるにはどうするかを考える。

例えば最もやりたくないことが、怖い先輩と関わることだとするならば、その先輩に指示を仰ぐだとか、報告することなどをやめてみることを考える。代わりにその先輩ではなく、別の先輩や上司の人に伝えてみることを考える。そしてその理由をきかれたらそれとなく、その先輩のことについて話してみることも想像する。すると案外他の人もその先輩の性格の問題については把握している場合が多く、なんらかの解決策を提示してくれる可能性があるということがわかる。

このように「やりたくないことをやめる」思考実験すると、意外とやめても大きな問題にはならないことがわかる。

職場や学校の人間関係が複雑で、毎日同じ人たちとランチを食べに行くのが憂鬱ならば、そのつきあいをキッパリやめて、昼食は1人でとることにする、ということを思考実験で行うのだ。🍱

そして実際にそれを実行したとしても、周囲はその変化にもすぐに慣れるし、やらなくても大丈夫だったことに気づく。

そのように「やりたくないことをやめる」思考実験をすると、自分の生活の中に、「嫌々やっていたけど本当はやらなくてもよかったこと」がたくさんあることに気づくだろう。

やりたくないことを少しずつやめていくことで、だんだんと頭も心もクリアになってくるから、自分の本当にやりたいことも見つけやすくなるのだと思う。🍀

 

みゆさん ( ͒ ु•·̫• ू ͒)