頭がぜんぜん良くないのに、知的に振る舞おうとする馬鹿、それは私では?!( ꒪⌓꒪)
頭が良くなりたい。頭がいい人と思われたい。。。。⚖
そう思ってしまうことは、きっと誰でもあると思う。
でも実際はそうではなくて、学歴とかも人に自慢できるような高いレベルでもなくて、実際はどちらかというと、世間一般的にはそれほど大したことがないと言われるようなもので、それほど政治や社会などの時事問題についても詳しくなく、でもそれを人に知られるのが恥ずかしいから、なんとなく知的めいたような話し方をして、それとなく「この人は頭がいいなあ」と思ってもらえるような態度で、人に印象づける、このような人は結構いる、私も含めて、、😓
私は女なんだけれど、少しだけそういう傾向があるような気がする。
はっきり言っておそらく自分は馬鹿だと思うからね。🐴🦌
学生の時のトラウマで、人に馬鹿だと思われるのが怖いから、英語とかも一生懸命勉強して、沢山の本を読んだりして、なんとかマシな知的レベルにして、出身高校とかもなるべく人に言わずに成人後は生きてきた。
自分は中学に入って生まれて初めて宿題以外の”勉強”というものをした。
小学校までは「勉強をする」という意味がまずわからなかった。「勉強をしなさい」と言われても何をしていいのかわからない。ただ学校で課された宿題をすればいい、塾に行って、もらった宿題をすればいい、それだけの知識しかなかったのだ。📚
中学に入学して初めて試験勉強というものを始めたけれど、慣れるまでに時間が掛かったし、軽度の注意欠陥多動性障害(ADHD)があったため、つまらない授業に集中したり、提出課題を終えたりすることがとても苦手だった。日常生活にストレスがなければ、それほど悪くはないのだが、この時期は家庭環境が最悪だったため、症状が重く出てしまい、中学校2年の時の成績は散々なものだった。しかも私の時代では中学2年時の試験成績と内申書は、高校進学に多大な影響を与えていたので、結局、学区内でも下のレベルの県立高校にしか入れなかった。
この話だけだと、子供の頃に全然勉強もしてなかったし、軽度の発達障害があるんだし、成績も悪いんだし、馬鹿なんだから、諦めて自分を受け入れて気楽に生きてゆけばいいじゃない、と思うかもしれない。
だがしかし、そんなにシンプルな話ではない。😰
そのような子供なのに、なぜか私は母親に「この子は出来る子なのだ」と思い込まれていたのだ。
確かに、数学と理科は試験でも普通レベルの域は出ていなかったけれど、国語、英語、社会、音楽においては、テストの成績も結構良かったし、通知表のランクで最高の”5”も何度か取っていたのだ。
ただ問題は技能教科の家庭科、技術、美術の授業では、提出物の期限が守れないとか、発達障害特有の不器用さで、技術の授業での大工作業が出来ないとか、家庭科の課題物作りも中々進まないなど、困ったことが沢山あった。しかし、これらの授業の成績も内申書に大きく反映されるので、中学2年時に技術と家庭科では通知表で”1”を取ってしまった。
しかし、母親はこのことは全く見えていなかった。
ただ、普通の学科の勉強が普通に出来るんだから、中の上くらいの県立高校には進学出来るはずだ、と私に過度な期待をしていた。
母親に期待されていた私はそれに応えるしかなかった。
母親の愛情を失ってしまうと思っていたからだ。期待に応えられなければ、私は母親に捨てられる、と思い込んでいたのかもしれない。
母の期待する高校に進学出来なかった私は、母親に鬼のような形相で「がっかりだわ!」と言われた。トラウマになった。
当時は発達障害のこともよく知られていなかったし、あまり理解もなかった。
家の中は毎日の夫婦ゲンカで家庭内が荒れていて、怒りとイライラの渦巻いた家の中で、どうやって平和に勉強に集中できる生活が送れるのだろうか。。。
うちは自営業だったから、母親は経営者なので、仕事と家業と子育てをすべてやらなければならなかったから、ものすごく大変だということはとても理解出来る。
私に勉強の仕方を教える余裕なんてなかったというのも頷ける。
だったら、そんなに私に期待をしないでおくれよ、、、、
高校に進学した後も、母親の私への期待は止まらなかった。
底辺の県立高校に行っていたにもかかわらず、神奈川県の某大学の女子短大の英文科に進学するように、私を洗脳してきた。
そこの高校のレベルでは入れない学校だ。過去に1人もそこの短大の英文科に入った人はいないという。
私がたまたま英語が得意だったからというのと、その底辺のレベルの学校内ではトップレベルの成績を取っていたから、きっと期待してきたんだと思う。
母親は教育に関しては自分では何も出来ないし、知識も全然持っていなかった。
レベルの低い高校と高いレベルの高校では使っている教科書も授業内容のレベルも全然違うということさえも知らなかったのだ。
ただ人に押しつけるだけ、気楽に自分の願望を人に押しつけるだけ、こちらの苦しみとか全然考えてくれなかった。
当時は意識レベルでは、今度こそ母親の期待に応えたいから、見捨てられたくないから、私もその短大の英文科に入りたいと思っていたし、それに向けて頑張って勉強をしていた。でも無意識レベルではきっと母親を憎んでいたし、母親の期待に応えたくない、失望させて復讐をしてやろうという気持ちがあったかもしれない。
結果、私はその短大に落ちた。他の都内の2つくらいの短大も受験してみたけれど、全然ダメだった。母親はまた鬼のような形相で「もうがっかりよっ!!!」と言った。またトラウマになった。そして、私は仕方なく英語系の専門学校に入学した。母親はケロッとして機嫌が良くなっていた。
自分の根底に知的好奇心というものは、小さい頃からあったのかもしれない。
子供用の百科事典を読むことも、児童図書を読むことも大好きだったから。
ただ、いくら沢山の雑学に精通しているからといって、勉強が出来るとは限らない。
学生時代の2回の受験失敗のトラウマは、私から”自己肯定”という、人格形成にとって最も大切なことを獲得するチャンスを奪って行った。
私は本当は馬鹿なんだ、でもそれを悟られたら、人を失望させて、私から遠ざけてしまう。私は自分が馬鹿であることを隠さなければならない、だから馬鹿がバレないように、色々な知識で隠れ蓑を作ろう。
そうやって生きてきたんじゃないかと思う。
カナダへ留学したのは隠れ蓑を作るためだったんじゃないだろうか?語学学校と、コミュニティーカレッジ(2年生の大学)のコースに在籍をしていたけれど、結局大学で自分が何を本当は学びたいのかが明確ではなかったため、時間とお金の無駄遣いを恐れて、1年で辞めてしまった。目標が明確でないとこんなに中途半端になってしまうのだ。
大したことのない自分を飾るために、海外留学をして箔をつける、これってまさに”意識高い系”ではないだろうか?
もちろん子供の頃から英語を習っていたし、英会話や海外に住むことにはずっと興味があったし、いつか実現させたいと思っていたのは事実だ。
けれど、ただ英語が話せるようになりたいとか住みたいだけならば、何も大学に入る必要はないだろう。その根底には学歴コンプがあったことは、逃れようのない事実だったように思う。
自分を隠して生きるのは本当に辛い。自分をさらけ出せないのは苦しい。
自分を等身大で人に見せることが大切、何倍にも大きく見せようとすると、その後ろめたさが、自分を心理的に追い詰めてくる。
自分を長年オブラートに包むことに疲れた私は、次第にどんどん心を病んでいった。
その時に心理学に興味を持った。
これは意識高い系の発想から出た考えではない。心の底からの好奇心である。
心理学について勉強したくて、素直な気持ちで通信制の大学の心理学コースを取った。
集中して勉強出来たし、お陰様で学士も取得出来て、認定心理士という資格も取れた。
自分に素直になったら心が楽になった。
周りの期待とか、世間の物差しとかに振り回されて生きても、決して幸せにはなれないよ。
自分を肯定する。ありのままの自分を肯定することが、自由に楽に幸せに生きて行くことの第一歩なんだろうな。