自由とは不自由なものである (*´д`)o
こんにちは、みゆさんです ('ω'*)
”自由は担うには重すぎる”
これはエーリッヒ・フロムという哲学者の言葉です。
私たちは大人になるにつれて、そうしようと思えばいくらでも自分本位に自由に生きてゆけるようになる。☁
でも本当に自由な状態、つまり「好きなように何をどれだけやってもいい」ということになると、実は結構困ってしまうことの方が多いのではないだろうか?😧
すべての時間と労力を自分のために使っていいとなると、何をどこまでやったらいいのかかえって分らなくなり、終いには何もやらなくなってしまう。💧
「自分のために」という考え方が強くなると、このような状態に陥ってしまうのが人間なのである。
まず人の脳にとって際限なく自由な状態、つまり選択肢が無数にある状態というのはとても負担が掛かることだと言う。そうすると脳はその負荷に耐えきれないから、人間は自主性の放棄に向かっていくと言う。🐏
人は自分のためだけに生きて行くのには限界があるということだ。
人が活動性を高めて生産性の高いことをしようと思うなら、この「自分のために」という考えは負担になるから、これとは逆の発想をしなければならない。
それは「自分のために」ではなく、「誰かのために」を考えて行動するということである。
次元の低い「自分」よりも抽象度を高くして「他者」や「社会」を考えて何をするかを考えることが、ある意味自由な人生を歩み易くするということなのかもしれない。🐱
実は人は無意識レベルでは自分と他人の境界線はなく、集合的無意識という自分と他人すべてが共有する無意識層がある。だから自分のためと考えるよりも最初から他人や社会を意識して行動した方が、この深い無意識レベルにアクセスし易く、自分や世界にとってより多くの有益な情報を取り出し又行動も出来るということかもしれない。💡
反対に人間はどこかで誰かに動かされていた方が楽なものだと思う。
自分の考え、自主性だけで生き抜いて行くというのは相当大変なことで、多大なエネルギーを使うものだ。
かと言って別に誰かに命令されたから仕方なく動く、受け身になるということではない。🐶
他者への意識が入ることで、ある程度の制約が生まれる。その制約のある限られた範囲内で、思う存分自分の自由な考えや行動で生きてゆけばいいんじゃないかと思うのだ。
そうするとずっと楽になる。🎈
ルールも制限もない果てのない宇宙空間のような自由よりも、ある程度限度のある自由の方が断然生きやすい。🚀
果てのない宇宙空間にいるのはとてつもなく不安で、スペースコロニーやステーションのような限られたスペースがあれば安心する。
つまり何かの枠組みが必要なのである。🖼
枠組みの中で自由に動き回るのである。どんなに動き回ったって枠組みから飛び出して行きカオスな状態になることはない。良い意味で枠組みに”守られている”のである。
自由すぎるのは不自由なのだ。
私も年齢や収入や性別などで自由に生きて行くのに結構な制限がある。
しかしそれでいいのである。かえって選択肢が狭まることで、やるべきことやりたいことを決めることがシンプルになる。
生きることがより楽になってゆくということなのである。🎊
( ´・ω・`)
- 作者: エーリッヒ・フロム,日高六郎
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