自分を抑えてすぎて殺すと、他人に害を与える( ꒪⌓꒪)
こんにちは、みゆさんです♬ (*´д`)o
日本人は自分を犠牲にして他人に尽くすことが善いことだと思う傾向がある。
自分のことは後回しにして他人を優先するということである。
克巳という言葉があるが、これは”己を殺す”という意味である。
そして昔から日本人はこの克巳、己を殺すことを美徳と考えているのだ。🌸
しかし度を超して自分を押し殺して他人を優先させるような生き方をしていると結構怖ろしいことになる。❄
自分を殺すことは他人を殺すことでもある。つまり他人に害を及ぼすようになるのである。
もちろん本人はそんなこと微塵も思うことはない。
しかし、無意識下で抑圧された心が殺しきれずに生きていて、ある時本人の知らない間に暴れ出して他人に迷惑を掛けたり傷つけたりするようになるのである。🔪
よく世の中にいるだろう。過剰に他人に尽くす人って。特に女性が多いのだが。
幼い頃から両親や周りの大人の言うことをよく聞き、自分の言いたいことややりたいことは後回しにして、周りの人に気遣い、尽くし、良い子大人しい子真面目な子として生きてきた。👧🏻
しかし意外なことに、このような人は案外人に好かれていない。🤔
それどころか周りから「自分勝手な人」「アクの強い人」として悪評判を立てられ嫌われてしまうことが多いのである。
本人としては不本意である。こんなに自分を押し殺して皆に尽くしているのに、世の中は本当に理不尽であると絶望する。
己を殺し切って生きていると言っても、生きている人間にはそれは難しいのである。
元々が業の深い人間は己を完全に殺し切ることなど出来ず、己の一部分だけ殺して生きて行くことになるのだが、それは半殺し状態であり、どこかで必ず再生し、本人の気づかないところで急に動き出すのである。
そう、押し殺してきた自分が復活して悪さを始めるのである。👿
例えば、みんなが楽しくしている時に、場が白けるようなみんながイヤな気持ちになるようなことをパッと言って平気でいるとか、非常に大切な仕事があるときに、大して具合が悪いわけでもないのに体調が悪いから早退するといって帰ってしまったり、約束したのに平気でドタキャンしたり、仲良くしている人に対してものすごく傷つけるようなことを言って平然としていたり。。。
確かにこの論理は本当なような気がする。👓
現に私は何年か前には、いつも気を利かせて自分が率先して、例えばエレベーターの開閉ボタンを押して皆を優先したり、オフィスに掛かってくる電話も自分がいつも最初に取っていたし、昼休みにもお金を発生しないにもかかわらず取っていたのに、周りの人間が知らんぷりだったから、知らないうちにイライラが貯まってきて、急に不機嫌になったり、同僚に何度も怒鳴って叱りつけたり、意地悪なことを言ったり、終いには会社の人間だけに止まらず、町中や電車の中でも、自分に気に入らない行動を取った人を睨みつけたりして、完全にモンスター化してしまっていた時期もあった。🐉
つまり自分を殺し過ぎてしまうと、どこかでズレが出てきて、ここぞという時に勝手なことをしてしまったり、トラブルを起こすようなことをしてしまうのである。
そりゃあ、いつも自分の気持ちを押し殺して、ワガママも押さえて辛抱してばかりの人生では息抜きだってしたくなるし、少しくらいいいよね、とサボってしまいたくなる時もある。問題はこのようなことを不適切にやってしまうことなのだ。
その理由は、この現象が「復讐」だからである。🔥
押し殺した自分の一部分の復讐なのである。🔥
だから他人が盛り上がっている雰囲気を殺し、他人の行為を無にし、友人の窮状を見殺しにしたりして、暴れて仕返しをするのである。
厄介なことに、前述したとおり、これは無意識に行われており、本人が認識出来ないのだ。
だから人から後ろ指を指されたり、悪評を立てられたりして初めて本人は気づくことが出来るのである。
私は自分を押さえてばかりいた10代20代の頃は、しょっちゅう知らない間にいつの間にか周りの友達を怒らせていて無視されたりしたことがあったものだ。そして毎回自分ではなぜそんなことになっているのか全く見当も付かなかった。
どうやら人に対する私の態度が悪かったり、無礼なことを言って謝りもしなかったり、というような理由だった。😱
つまり過度に自分の欲望や感情を抑えてしまうと、押し殺した悪い自分がどこかで顔を出して悪さをするよ、だから最初から自分は殺さない方がいいんだよ。
ということなのである。
自分の感情や欲望には正直に生きた方が実は幸せな生き方なのだろう。🍀
みゆさん σ(´Д`●)
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