自分は本当は冷たい人間なのかもしれない( ꒪⌓꒪)
こんにちは、みゆさんです☆ ( ꒪⌓꒪)
みなさんは自分のことを優しい人間だと思うだろうか?
それとも冷たい人間だと思うだろうか?😇😑
多くの人が大体自分のことを優しい人間だと思うのではないだろうか?
実はこの質問に答えるのはとてもむずかしい。🙅🏻♀️
自分が「優しい」と思う根拠は、自分にとって愛情を掛けてくれる家族や友人などに優しく接しているとか、なんの利害関係のない町中にいる人に親切に振る舞うことが出来ているとか、そんなような理由ではないだろうか。
じゃあ、自分にとって都合の悪い人間に対してはどうだろう?☔
明らかに自分に害を及ぼすような人間には、もちろん優しくするなんてもっての外で、むしろ近寄らないようにするのは当然のことである。
しかし、はっきりとした害を与えてくるわけではないけれど、心理的に自分を何となく圧迫するような人、嫉妬心を刺激するような人、なんとなく馬の合わない人、鬱陶しい人などはどうだろうか?😥
もしこのような曖昧な感じの人に対しても、優しく接することが出来る人ならば、その人たちは間違いなく「優しい人」であると言える。😃
残念ながら、私はこれが出来ない人間であると認識している。💧
曖昧な感じの人たちとは、表面上は礼儀正しく接してなるべく気分を害さないように努めているつもりだが、絶対に近づこうとはしない。避けているということだ。
昔はなぜか心理的に刺激してくるような、嫉妬心を煽るような、自分を支配してこようとするような人物とよく仲良くなっていたものだ。💥💦
しかし、いつも心はモヤモヤしているし、なんだかムカムカするし、イライラするし、決して心から安らぐこともないし、楽しいわけでもない。
むしろ自分はダメな人間だとより一層思わされるような、コンプレックスを刺激されるような気分になるから、常に焦っている状態になってしまう。
そのような人物たちは私に対して優しいし、決して悪気があったわけではないと思う。
しかし、私自身は勝手に心が疲弊して行き、段々と距離を置き始め、フェイドアウトして離れて行く。そう私はその人物たちを捨てたのだ。
自分の心が辛いから、不快で苦しいからという身勝手な理由でである。
そのようなことを私は今までの人生で何十回もしてきた。🤢
自分のことばかりで冷淡な人間なのだ。⛄
私は基本的な人間への信頼感という発達課題をクリアしてこなかった。本来ならばこの課題は赤ちゃんの時や、幼少の時までに乗り越えてくるものなのだが、私の場合はそれに失敗したまま大人になってしまったのだ。
人は私を笑う、馬鹿にする、傷つける。と心の根っこで思い込んでしまっていたんだと思うし、今もまだ思い込んでいる可能性がある。
とにかく自分の心をかき乱す恐れのある者には寄りつかない。うっかりと寄りすぎてしまったら排除する。💀
本当に冷たい人間である。表面上は人に理解を示すような人間で、親切でマナーのよい人間で生きているつもりなのに、心の底からは他人に心を開くことが出来ない。
根本的な人間に対しての恐れや不信感がそうさせている。
もし私が幼少の時にちゃんと発達課題を達成出来て、人や世の中に対する基本的な信頼感や自信が育っていたならば、こんなに苦しまずに済んだかもしれないし、もっと幸せな人生を送れていたのかも知れない。😭
でもこんなことを嘆いていても意味がない。
もっと良い方に考えてみよう。だって事実は動かしようがないのだから。
人に心をあまり開かないことで友達は出来にくいかもしれない、けれども自分自身の世界を確保出来る。そして自立心を養うことが出来るのだ。
人に不安を覚えてしまう気持ち、懐疑心を抱いてしまう気持ち、嫉妬してしまう心などは、自分では湧き上がることを止めるのは不可能なことである。
だからもうこの人間不信の冷たい自分とずっと仲良く付き合って行くよりほかないのだ。
まずはこんな自分自信を受け入れて信頼してみようと思う。🌞🌟
自分を信頼し切れた時に、もしかしたら他人への信頼感も生まれるかもしれない。
そのとき、初めて自分は本当の優しい人間になれるんだと思う。
みゆさん|д・´)
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