人のうらましいと思う部分は、自分も持っている可能性あり( ´・ω・`)_且
こんにちは、みゆさんです ( ´・ω・`)_且
他人を羨ましいと思うことはあるだろうか?👀
ほとんどの人間は一度は絶対にあると思う。
自分はダメダメポンコツ人間でずっと生きてきた割には、以外に他人を羨ましいと思うことが少なく、もしあるとすれば、時々やっぱりバンドでミュージシャンをやっている人は羨ましいと思ってしまうかもしれない。👨🏼🎤
音楽そのものが凄く大好きとまではいかないけれど、彼らの自分の世界観を表現して、人々を魅了し楽しませ、喜ばせる才能は、いつも羨望の眼差しで見てしまう。👀
自分もああいうことが出来たらいいなあと、10代の頃からこの年齢になっても空想してしまうことが良くある。✨
しかしどうやらスピリチュアルの世界では、人を羨むことは良くないと言われているようだ。業が増えるとか不浄な行いと見なされているからなのだろうか?
しかし誰かを羨むことは自然的に発生するものだし、心の底から湧き上がってくるその感情を抑え込んだり、考えないようにしたりなんてことは出来ない。
そのような気持ちがあると認めざるを得ないのである。🐣
実は人が他人を羨ましいと感じるとき、羨んでいるその部分が自分が本当は行きたいと思っている部分であり、未開発のままであるから、開発を待っている部分であると言われている。
つまり他人が持っている自分が羨んでいる部分に近いもの、関するものを自分も少し持っている可能性があるということだ。
そういえば、人は世の中のすべての優れた人を羨むわけではない。
海外で活躍するようなプロのサッカー選手は確かにすごいしかっこいいし優れているけれども、別に皆が羨むわけではない。⚽
学者さんやノーベル賞を取るような研究者は、確かに天才的に頭のいい人たちですごいけれど、羨ましいと思うとは限らない。👩🏻🔬
ミュージシャンだって、人気があって才能があってすごいけれど、音楽に興味のない人は別に羨ましいとは思わないだろう。
このように、人が羨しいと感じる他人は限定されていて、個人によって異なるのだ。
だから誰かが羨ましいと感じたとき、その羨ましいと思ったことについてよく考え吟味してみるといい。
例えば、自分が羨ましいと思っているバンドのミュージシャンは、自分の持つ心の闇、世の中に対して理不尽に感じることなどを隠さずに詩に乗せて、独特のライブパフォーマンスで思い切り表現している。またこのミュージシャンはニコ生やツイキャスの配信者でもあり、そこでも自分の考えやアイデアや生き方を堂々と表現している。プライドや恥などは全部捨てて、自分をさらけ出している。しかしその行動が人々を勇気づけ、癒し、楽しませ、喜ばせているからとても魅了されるのである。👼
自分には到底この人と同じようなことは出来ない。自分は自分のすべてをさらけ出すことなんて絶対に出来ない。💦
しかし、本当はそうでもないのである。‼
これは「あなたもこの人と同じようなことが出来るかもしれないよ」「羨んでいる部分に関する能力をあなたも伸ばせる可能性があるよ」、という無意識からの呼びかけなのだという。
まったくかけ離れていると思っていても、自分の心の奥底では願望と自信がちゃんとあって、このミュージシャンの羨むような部分が未開発のままで眠っているから、開拓してゆくべきなんだよという無意識からの示唆なのである。
ただ未開発の部分を開拓してゆくには、多少なりとも困難と苦労が伴うものだから、「自分には出来ない。羨ましい。」と言って開拓することを避けるのである。☹
誰かを羨ましいと思ったとき、その部分は本当は自分が伸ばせる可能性があるところであり、試練を避けたいがために見て見ぬふりをしてきた部分であることを理解すると、じゃあそれに向き合ってみようかな?という気になるかもしれない。🌞
最近私もそんな気持ちになってきて、別にバンドを本格的に始めようというわけではないけれども、別の形で自分を表現して人々を楽しませたり元気づけられることを模索してゆきたいなあと思っている。
みゆさん╭(๑•̀ㅂ•́)و