平凡であることの勇気o(・ω・。)
こんにちは、みゆさんです (。-ω-)ノ
本当は平凡で特に秀でた才能やらがあるわけでもないのに、そんな人に限って平凡であることを嫌い、むしろ恐れ、常にどっかしら人とは違うような振る舞いをして、個性を強調して人目を引くことに日々エネルギーを費やしている。😎
自身の根底に自己否定感のある人、自尊心の低い人、自己の存在価値を見いだせない人ほど、才能がある理想の自分を演出したがるし、自分は周りの人間とは違う特別な人間でありたいという思いに固執する。🤡
しかし、実際の所はどこまで行ってもその人は特別な才能があるわけでもないし、平凡な人間なのである。本来ならば、もし自分が本当は平凡なただの凡人であるとちゃんと認め受け入れて、そんな自分を愛することが出来るならば、平凡な人間としての幸せな生活を掴むことが案外すぐに出来るような気がする。🌸
それなのに平凡を嫌い自分を特別な人間だと信じたい人は、そのような自分を認めることが出来ない。理想の自分に執着して生きてゆかないと自分が壊れてしまいそうだと感じるからである。⚡
他の人間と同じになって自分の個性が埋もれてしまうのが怖いのである。
それはこのような人間が、幼少期になんらかの理由で人としての大事な初期の成長段階である基本的信頼と自己肯定感の獲得の課題のクリアに失敗し、大人になっても自分自身のアイデンティティというものが不確かであり、根幹が揺らいでしまっているものだから、他の人間たちの中で埋もれてしまうと自分が何者なのかわからなくなってしまうことを恐れているのである。👻
一方、ちゃんと自己肯定感が育っており、自分自身というものをごく自然に丸ごと受け入れられている人は、平凡で皆と同じであることに対して全く不安や恐れを抱かないどころか、むしろ安心感を感じてそれを欲している。😇
他の人たちと同じような生き方をし、同じ髪型やファッションをすることで、大多数の人々は自分の人生を生きやすくしているのだ。🙋🏻
そんな人たちを「量産型」とか「凡人でつまらない人生」などとディスるような、世の中を斜に構えて見ている人たちがいるが、そのような人たちは本心ではこの人たちに嫉妬しているのである。自分たちはこの人たちと同じように平凡に生きることが出来ない。心の底では同じように平凡な幸せを感じながら生きてゆきたかった、と思っていることが殆どであると思う。🤢
自分は特別だとかスペシャルな人間だと必死に思い込んで、個性を際立たせて生きているナルシストは、常に平凡な量産型の人々を妬み嫉妬しながら生きていると言っても過言ではない。その気持ちに抗うように益々個性を際立たせて捻くれて変人のように生きてゆくようになるのである。🤖
平凡であるということはとても勇気がいることである。☹
目立たなくたっていい、地味だっていい、皆と同じでもいい、個性なんかなくたっていい、ただみんなと一緒に楽しく幸せに生きてゆければいい。
こう思えるのは本当はとても素晴らしいことだと思う。🌟
この考え方はある種「自分、自分」「Me, Me, Me」の境地とは違い、もっと次元の高い視点で生きていると言えるだろう。
つまり自分から離れてもっと外の世界を見るということである。🌎
人間「自分、自分」ではダメなんだと思う。そこから抜け出すにはとにかくまず、ダメダメなどうしようもない自分であっても丸ごと受け入れて認めて 自己肯定感を確立することなんだと思う。
そうすればだんだんと自分が特別なんだとか、個性を出して目立たなければならないとか思わなくなるのかもしれない。
みゆさん ( ˘͈ ᵕ ˘͈ )♡
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