自己チューな人ほど深く傷つく( ꒪⌓꒪)
こんにちは、みゆさんです |д・´)
大人になると心の中は傷でいっぱいである。🤕
幼少期や思春期でたくさんの傷を負ってきたばかりでなく、その傷を引きずり影響して、さらに青年期、壮年期に入ってからも何かしらの傷を負ってゆく。
心の傷から生じる感情に振り回されている大人が多いのはそのためだという。
それは現代社会に様々な問題を引き起こしている要因にもなっている。
私たちは生きている限り心に傷を負うのである。😰
他人から心無いことを言われ、ショックな出来事に遭遇し、年を重ねるほど心の傷は増えて行く。
人によってはPTSD(心的外傷後ストレス障害)という、「トラウマ」を抱えてしまうこともある。💔
さて、人は誰でも少なからず心に傷を持っているものですが、それがトラウマとなって心の病を引き起こすこともあれば、病とならずに癒えてゆくこともある。
その違いは一体何なのだろうか?
ここから先の意見は少し賛否両論があるかもしれないが、心の傷がトラウマになるか否か、うつ病などの病気を引き起こすか否かは、出来事そのものの大きさとは関係がないという。
実際、ものすごく衝撃的な出来事に出くわしても、トラウマになる人とならない人がいる。
その違いは「本人にとっての理不尽度の違い」である。
何か衝撃的な出来事が起こった時、「とてつもなく理不尽だ!」と感じる人と、「ちょっと理不尽だな。。。」と感じる人では、出来事の受け取り方が違い、理不尽さを感じる度合いが違うのである。
理不尽度の差を生むのは、自己責任感の大小だと言われている。
ショックな出来事に対して、「自分にも責任がある」と感じる人にとって、その出来事の理不尽度は小さく、反対に「自分には責任がない」と感じる人にとって、理不尽度は大きくなる、ということだ。
つまり、ショックな出来事に対して「自分にも責任がある」と考える人は心の傷が深くならない。
一方「自分には責任がない」と考える傾向のある人は心の傷が深くなりやすいということである。👆🏼
例えば、職場でキレやすい先輩が仕事をあなたに丸投げしてきたとする。しかしあなたは自分の仕事で一杯一杯で、先輩の仕事を引き受けると土日をつぶさなければならなくなるとする。そこで先輩に対して「今自分の仕事で手一杯でして、他の人に頼んでもらえませんか?」と断りを入れたとする。
するとキレやすい先輩は急に怒り出し、「オレだっていつもお前の仕事を手伝ってあげているじゃないか!!オレに向かって何様のつもりだ!!!」とキレてしまう。
そのキレ方があまりにも激しいので、あなたはトラウマになりそうなほどショックを受けてしまう。
そんな時二通りの反応の仕方がある。
1つは、心に傷を受けながらも「こっちの状況を考えず無茶ぶりしてくる先輩が悪いだろ」と、「自分には責任がない」ことを前提に相手を責めるパターン。
もう1つは、相手を責めたい気持ちをグッとこらえ、「先輩も忙しくてイライラしているんだな。確かに自分の方も先輩に手伝ってもらってることもあるし、お互い様だよな」と客観的に状況を見ようと努め、自分にも責任があると認めるパターン。
前者はキレた相手に恨みを抱き、心の傷を未来にまで引きずり続けるようになるが、後者はキレられたショックを引きずる可能性はかなり低くなるだろう。
理不尽な状況に遭遇したとき、「なんの責任もないのに自分だけひどい目に遭った」と相手を責めるだけの人は「自己中心な人」で自己チューである。😑
そして自己チューな人は、「自己中心でない人」に比べると、心の傷が深くなりやすいということである。
ただし、夜道で女性が暴漢に遭ってしまうとか、ただ歩いていただけで通り魔に刺されて殺されてしまうなどの、本当にまったく自分に非がなく、どうしたって防ぎようがなかった出来事の場合は、この「自己責任と捉える」という論理は当てはまらないだろう。
そうではなく、日々生活をしている中で、私たちは生きていく以上、様々な理不尽を引き受けて生きていかなければならない。それが生きてゆくということである、ということだ。
今回の記事は、脳機能学者の苫米地英人博士の「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める」という著書を参考にしている。
自分では防ぎようのない事件や事故ならともかく、日常的に起こりうる、あらゆる人間関係から生じる不快な出来事に対して、いちいちショックを受けて、その度に心に傷を負い、トラウマを抱えるなんて、ある意味馬鹿らしいことかもしれない。🤑
出来事の状況を冷静に客観視して、自分にも何か非はあったのかを考えるだけで、いくらかショックな気持ちが和らいだり、心の傷も浅くて済むというのは、確かにうなずける。💡
自己チューの人ほど実は生きにくいということがわかった。
みゆさん |д・´)
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