鬱な気分になるのは生きがいがないからだ( ꒪⌓꒪)
こんにちは、みゆさんです |д・´)
何かと落ち込みやすくなったり、暗くなったり、つまらなくなったりなど鬱々としてしまう時は生きてゆく張り合いがない、生きがいがないのである。😨
生きがいと言ってもピンからキリまである。
仕事が生きがいだとか、社会貢献をすることが生きがいだとか、妻として母として生きることが生きがいだとか、芸術を究めることが生きがいだとか、研究が生きがいだとか、すごく立派な大きいテーマのものもあれば、毎日美味しいご飯を食べるのが生きがいだとか、趣味のスポーツを週末にやることが生きがいだとか、好きなテレビ番組を観ることが生きがいだとか、好きな小説を読むことが生きがいだとか、好きなアイドルやミュージシャンを応援することが生きがいだとか、ライブに行くことが生きがいだとか、本当にあげれば切りがない。
しかし鬱っぽくなってしまう人、本当に心が病んでしまう人というのは生きがいがない状態である。
何をやっても楽しくない、面白くない、興味が持てない。😰
好きなことなんて何もない、本当に毎日生きていても意味がない、いっそ消えてしまいたい、死んでしまいたい。💧
それでもそんな抑鬱状態から脱出したいと思い、何かのゲームに没頭し、それが思いの外面白くてはまって、それをきっかけに楽しみを見いだし生きがいとなることもある。
またあまりにも落ち込んで鬱々としているものだから、何か暗い音楽でも聴こうと動画検索をして、偶然聴いたあるバンドの音楽を気に入って、そのバンドのライブに足を運んだことから、そのバンドのファンになりそれが生きがいになることもある。🎼
また鬱になったことで、それを自分で何とかしたいと思い、精神疾患に関することをネットで調べたり、関連する本を読んだりしているうちに精神医学や心理学に興味を持ち、その分野を探求することに生きがいを見いだすことだってある。📕
しかしこれらのような人たちはまだ鬱状態から脱出したいという気持ちが少しでもあるから、こうやって良い方向に向かって、何とか新しい生きがいを見つけることが出来るのだが、本当に鬱症状が進んでしまっている人は、反対にさらに悪い方向に行ってしまうことも多い。😱
例えばアルコールやギャンブルにのめり込んでしまうというパターンである。
また衝動買いに走り、ひたすらお金を消費して散財してしまうということもある。
鬱状態を一時的に緩和するための逃げ道が、自分の身体や暮らしを破滅させてしまうような依存性の高いものになってしまうと悲惨である。
じつは生きがいのない状態で鬱になってしまうというのはヒマなのである。
人はヒマだとろくなことを考えない。😰
ヒマであるから余計なことばかり考えてしまい、過去のことやまだわからない未来のことについて不安がり思い悩んで、ネガティブな考えを頭の中でグルグルと巡らせてしまい、終いには鬱になってしまうのである。
だから、何が何でもヒマになってはいけないのである。🙅🏻♀️
どんなに小さな些細なことでも、ちょっとしたことでも生きがいを見つける。無理矢理見つける。
今日のお昼や晩ご飯でもいい、おやつでもいい、コーヒー一杯でもいい、それを楽しみにそれを生きがいにして、今の瞬間を生きるしかないのだと思う。
近所のお散歩中のワンちゃんやノラ猫ちゃんに会うことを楽しみにしてもいい。
眠ることでもいいと思う。そして出来れば眠って夢を見た時に、夢に出てきたことについてすべて夢事典で意味を調べるのである。これは以外とやってみると楽しい。📙
それからお気に入りの海外ドラマシリーズを見つけるといい。
向こうのドラマシリーズは日本のドラマと違って1つの作品が長く続く傾向があるから、一度はまると長い間楽しむことが出来る。ドラマを観ることを生きがいにするならば、今はまっているシリーズが途中でも、別の新しく始まるドラマを随時チェックしておくといいだろう。例え現在のお気に入りドラマが終了したとしても、途切れずに次の楽しみに没頭することが出来るからだ。
また海外ドラマのような長いシリーズだと、そのドラマの世界への入り込み方が違う。
充分に生きがいの1つになり得る候補だと言えるだろう。😌
とにかく日常に何でもいいから文化を持つことが必要なのだと思う。
文化がないと精神的に蝕まれて行くというから、いつもアンテナを張り巡らせて、小さなことでも楽しみを探しながら生きてゆこうと思う。
みゆさん |д・´)
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