みゆさんのブログ

生きづらい独身女性たちの自由と平和のためのブログ

怒りを覚えたら数値化してみる(*´・∀・)

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こんにちは、みゆさんです (*´・∀・)

さて質問です。あなたは怒りんぼでしょうか?😡

私は結構怒りんぼだと思います。😤

だから怒りのマネージメント、”アンガーマネージメント”は自分が上手く世の中で生きて行くためにとても大事なことなのである。

怒りやイライラは、自分の腹の中に住み着いている猛獣や怪獣みたいなもので、上手に手なずけて飼わないと、飼い主も他人も食い殺されてしまうという厄介な存在である。

人が怒る理由として、他人や物事が自分の思い通りにならない、誰かに対して嫉妬や憎しみの感情が芽生えた、正義感から来る悪への批判意識が生まれた、などがあると思う。😐

しかし理由がなんであれ、怒りの感情を爆発させるということは、人間社会で生きてゆくためにはとてもマイナスな影響を与える行為である。

じゃあ怒りの感情を抑えつければいいのだろうか?

そんなことを言ったって、そんな簡単にはいかない、とても苦しいし、表情や声のトーンや態度にどうしても表れてしまう。

だったら、まずアンガーマネージメントとして、自分が今怒りを感じていることを認めてしまおう。

そして怒りの程度を100%として、今感じている怒りの程度がそのうちの何%くらいなのか、数値化してしまおう。📈

例えば、私なんぞはサービス業をしているので、お客に対してしょっちゅうイライラや怒りを感じているから、「今の客の行為本当にイラつくなあ。。何パーセントくらいだろう。。。?57パーセントくらいかなあ」「試飲のカップはちゃんとゴミ箱に捨てていけよ!う~~ん、今のは34パーくらいかなあ」というように、怒りを感じるたびにパーセンテージで数値化している。👆

これをすると何が起きるかというと、今の自分を客観視してメタ認知出来るから、冷静になれるのである。

また点数を考えている間に、怒りがだんだんと収まってくるという利点もある。👌🏻

これと似たような方法で、もう1つのアンガーマネージメントとして、怒りを感じた瞬間から6秒数える、というのがある。

ただ「1,2,3,4,5,6」と数を数えるだけで、怒りを抑えることが出来るという。

これも怒りを感じてから少し間を置くことで感情をクールダウンさせるということで、前記の方法と共通している。💡

怒りを感じたときに、1番やってはいけないことは、感情にまかせて怒りの対象の人間を言葉や態度で攻撃することであり、これをやってしまうと、社会的な信用を失い、取り返しのつかないことになってしまうこともある。💦

”怒り”とはある意味病気の発作のようなものであるから、無理にその感情を抑えつけるというよりは、上手く共存してゆくのがいいだろう。

そのために、怒りを覚えたらまずは数値化する、というのがベストな方法だと思うし、もしそれでも抑えきれないような怒りならば、その場を離れて、怒りの対象人物と距離を置くというのが最善の選択かもしれない。

また、私もそうだが、怒りんぼさんたちは自己愛が少し強い傾向にあるから、もっと視野を広げて、”自分、自分”という狭い考え方ではなく、相手側や別の方面から多角的に物事を見る訓練をするべきなのかもしれない。📐

”怒り”とは百害あって一利なし。

なるべくなら、怒らないで平和に生きてゆきたいと思う。🍀

 

みゆさん (*´・∀・) 

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直感したことは人に話さない|_・)

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こんにちは、みゆさんです |_・)

最近は直感の話ばかり書いていますが、今日もその話です。

なぜなら平和に安全になるべく生きて行くためには直感は不可欠だからです。

まだ文明がそれほど発達していなかった昔の時代の人は、直感をフルに活用して生活していたという。💥

江戸時代の旅などは、今の時代とは比べものにならないほど危険に満ちていた。

日本には今よりもずーっと山がまだ沢山あった時代、人々は山中を旅することが多かった。自然が豊かだった分、様々な野生動物がいて、狼や野犬や熊なども多くうろついていたし、夜盗や強盗なども沢山いた。そんな中を人々は人気のない道を歩かなければならなかったというから、いつでも生命の危機に直結する可能性があったのである。

道中に分かれ道があったとき、右に行くか左に行くかの選択が生死を分けることだってあった。どちらの道に行くか迷ったとき、人々は己の直感の声に耳を澄まして聞くしかなかったのである。

また道中で出会った人に対しても、その人物が善人なのか危害を及ぼす悪人なのかを見極めるために、直感をフルに活用して判断していたという。👀

文明の発達した現代社会であっても、生活する中で危険は沢山あるし、危険を察知する以外でも、普通に人生を送る中で、常に私たちは何かの選択をしながら生き進んでゆかなければならないから、直感はやっぱりとても重要である。👆🏿👆

しかし、直感の声を言葉として捉えたことがあるという人はどれだけいるのだろうか?

実は直感には言葉がないことが殆どで、言葉として聞こえるのは直感ではないと思った方がいい。🙄

先ほどの江戸時代の人々の直感も、「なぜだかわからないけど、そっちに行ってはいけない気がした」、「なぜかわからないけれど、その人が信用出来なかった」という状態であり、決して言葉で明確に理由付けなど出来なかったに違いない。

そう、この「なぜだかわからない」「なぜ起こったのかわからない」というのが直感の正体であり、言語化して説明を加えてはならないものなのである。

だから何か直感したとしても、それが何かわからない状態に留めておき、出来れば誰にも言わない方がいいだろう。🙅🏻‍♀️

誰かに直感の内容を言おうとすることは、言語化することであり、それによって論理的になり、理由付けをするようになるから、その内容が辻つまが合わないと思ってしまうと、せっかくの直感が正しいのか疑念を持ち始めるだろうし、また他人に言うことによって、他人の主観が入るから、彼らの意見に流されて、自分の直感を否定してしまうことになりかねないからである。😨

直感とは霊感に近いものであり、第六感であるのだから、言語化して説明する必要はないもので、敢えてぼやかしておいた方がいいのである。

直感したことの話はしない方がいいということである。👆🏽

しかし後日談として、こんなことがあって、こんなことが頭に浮かんで、危険を切り抜けることが出来た、というようなネタ話として話すのはいいと思う。

実際に直感が必要になる場面では、黙っていた方が良く直感が働くのである。

 

みゆさん |_・)

 

 

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1日15分の好きなことだけをやる時間(。☌ᴗ☌。)

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こんにちは、みゆさんです (。☌ᴗ☌。)

もし直感力を鍛えたいと思うならば、必ず毎日少しでもリラックスする時間をもうけなければならないという。🐼

直感力を発揮するためには、リラックスすることが不可欠である。

例えば、何か落とし物をして探すとき、人や物の名前がなかなか頭から出てこないとき、テストの問題が解けないとき、パニックになって必死に探そうとしたり、思い出そうとしても中々出てこないという経験はないだろうか?👈

そして「もういいや」と諦めて、ふっと力を抜いたとき、そのことをすっかり忘れていたときになくした物を見つけたり、忘れていたことが頭にぱっと思い浮かんだりしたことはないだろうか?

それは心身共にリラックスしていたからである。🐢

人はパニック状態や緊張状態にあるときは、直感力が発揮できないため、よい解決策やアイデアなどがまったく出てこなくなってしまう。しかしリラックスすることで余裕が出来て様々なアイデアなどが浮かびやすくなるのである。

 しかし現代人は忙しすぎて、余裕がなさ過ぎてリラックスする時間をもうけることが中々出来ない。

それでも1日に15分でもいいから自身がリラックス出来る時間を無理矢理にでも作るべきである。⏲

そのリラックスの状態を作る方法とは、自分の好きなことに没頭することである。

心から楽しめる、自分が大好きなことをする時間である。

ピアノやギターや管楽器などの楽器でもいいし、好きな音楽を聴くでもいいし、好きな本を読むでもいいし、好きなアニメや映画でもいいし、手芸でもいいし、運動でもいいし、ジグゾーパズルようなパズルでもいい。

とにかく好きで我を忘れて没頭出来ることに、1日15分を費やすのである。

ただし、ただの暇つぶしのような感覚でダラダラやるのはダメ。流されるテレビを観るとか、ただスマホを見ているとかでは効果はないだろう。あくまでも時間を忘れてしまうくらい夢中になって入り込めるようなことでなければいけない。👆🏾

自分を忘れる、時間を忘れる、ということがリラックス状態を生み出し、このような訓練を毎日していると、常にアイデアが出やすい状態になるから、創造活動にはとても役に立つという。

1日に15分だったら、どんなに忙しい人であっても、無理矢理に隙間時間を作れるのではないだろうか?

直感力を磨くことは、あらゆる活動にとって、とても有益なことである。👌🏼

何をやったらいいかわからない人は、ネットで「好きなことを見つけたい」という言葉で検索をかけて、まずはその方法を探すことに没頭して楽しんでみたらいかがだろうか?

ちなみに私が今没頭出来るのは、進撃の巨人のアニメを観るのと、中国語とフランス語をネットで勉強することである。😇

 

みゆさん (。☌ᴗ☌。) 

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体は言葉に従いあやつられる o(・ω・。)

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こんにちは、みゆさんです o(・ω・。)

言霊という言葉がありますが、言葉には魂がこもっていると言う。

そして自分が発した言葉は本当になる、とよく言われている。🖋🖊

なんだか体がだるい時に「あ~疲れた」と言葉にして言ってしまうと、益々どんどん疲労が強くなってくる。

反対に「まだまだ元気だぞお」とか「まだまだいけるぞお」などの言葉を発すると、だるさが緩和されて、本当に元気になってくる。

なんだか気持ちが不安で落ち着かない時、モヤモヤしている時に、「ああ~楽しい!」「なんだか気分がいいなあ」と笑いながら言うと、さっきまでの暗かった気持ちが本当に晴れて楽しく気分が明るくなってくる。

仕事に行く前にナーバスな気持ちや不安に襲われている時は、「自分のやるべきことに集中する!」「自分には能力がある」と声に出して言うと、その日の仕事はミスもなくてきぱきとこなせるようになる。🤓

なぜこのようなことが起きるかというと、人間が論理から逃れられない存在だからだそうだ。

自分が唱えている言葉に対する責任感が、身体をそっちにシフトしてゆくのだという。

そしてこの人間の特徴を活かして、悩みや苦しみを解決することが出来る。💡

心が不安や恐怖でどうしようもないときは、「わたしはだいじょうぶ!」と声に出して何度か言ってみると、本当に大丈夫だという確信や自信が生まれてくる。

もっといいのが、言葉を発するとき、完結形で言った方が効果的だという。

「すべては解決した」「願いは叶った」「すべては上手くいった」「私はとても幸せだ」

などのように言い切ってしまうのがいいらしい。👆🏼

そうすると、身体はその言葉に従うために、そのような状況に持って行くような行動をさせるのだ。

退屈でつまらないときに、ワハハハと嘘笑いをしながら楽しい楽しいと言っていると、本当に楽しくなってきたり、逆に気分がよくても、悲しい悲しいと嘘泣きをしているうちに、本当に悲しくて落ち込んだ気分になってしまうのも、同じようなメカニズムだ。

何か叶えたい願いがあるときは、「成就した」と言い切って、そのような自分として意識して生活していると、本当に願いは叶うという。

言葉とは人間にとって本当に強力なツールなのである。✍✍✍

 

みゆさん o(・ω・。)

 

 

 

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この人は味方にちがいない、とまずは思い込む٩(๑•̀ω•́๑)۶

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こんにちは、みゆさんです ヾ(。>﹏<。)ノ゙

さて、あなたは人見知りなタイプの人でしょうか?🦄

私はけっこうそのタイプで、初対面の見ず知らずの人と話をすることが苦手だ。

それはなぜかというと、「怖い」という気持ちがあるかもしれない。😱

人見知りタイプの人は基本的に人間が苦手な人が多いだろう。

極端な言い方をすると、心の根底に「人は自分を傷つける」「人は自分に危害を加える」という考えがある。

つまり他人は自分にとって「敵」であるという考え方を持っているのだ。😈

「気の利いた話が出来ないと相手につまらないやつと思われるんじゃないか?」

「楽しい会話が出来ないと相手に暗いと思われるんじゃないか?」

「ファッションがダサいと相手に一緒にいて恥ずかしいと思われるんじゃないか?」

「こちらがお人好しだと相手はこちらをいいように利用し始めるんじゃないか?」

など、他人に対して猜疑心や警戒心を常に持っている人は「人嫌い」ということになる。

もちろんこのような人間は人とよいコミュニケーションなんて取れないわけだから、友達も出来るはずはないし、況してや恋人なんてもってのほかである。😔

しかし、人は生きている以上他人との交流を避けて通ることは出来ない。

より幸せな人生を築くためには、他人の存在は不可欠である。🌼

では私たちのような人が苦手なタイプはどうしたらよいのだろうか?

それは「この人は味方である」と人に対して思い込むことである。🐶🐷🐵

「この人は味方である」、「この人はきっといい人にちがいない」と仮説でもいいので信じ込むのである。

どんなに自分とはまったく違うタイプの人に対してもそう思い込むことで、脳はその人間が”いい人である”という証拠を情報の中から探し始めるから、その人間がいい人だと認知出来るような現象が現れてくる。するとその人間が自分にとってよい存在だと思えるようなことがたくさん目につくようになるから、その人を本当に信じられるようになるのだ。😃

反対に人に対して恐怖心を抱くと、その恐怖を正当化させる証拠ばかり脳が集めようとするから、その人を悪い人と認識するような現象ばかり目につくようになってしまう。そうすると益々その人が苦手で怖くなる、という悪循環に陥ってしまう。😰

とりあえず仮説でいいので、会った人を「いい人である」と思うことが大切である。

「人は自分の味方である」という見方を常にしていると、世界は自分にとって本当に生きやすい場所になるという。

ただし、例外的にサイコパスやソシオパスのような、本当に他人に危害を加える人間も世の中には一定数存在するから、何か行動がおかしいな?と”虫の知らせ”を受け取ったら、そのような時はすぐさま逃げるべきである。

それでも全体的な割合からして、普通の人間の方がずっと多いわけだから、少なくとも「自分の敵」と思い込んで最初から除外してしまうよりは、仮設でも「自分の味方」だと認識して、人とは平和に交流した方が自分は生きやすくなるだろう。

私は本当に1人でいることが好きな人間だが、苦手であっても、頑張って人との交流はしてゆこうと思っている。

 

みゆさん ٩(๑•̀ω•́๑)۶

 

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起こったことが良いことなのか悪いことなのかはわからない( ´・ω・`)

 

こんにちは、みゆさんです ( ´・ω・`)

何か出来事が起こって、それが良いことだとしたら、多くの人間はとても嬉しいと思い、その出来事が自分にとって幸運なことだと思い込む。

反対に何か良くないことが起こり、多くの人間はそれを悲しく苦しく思い、その出来事が自分にとって不幸なことだと思い込む。

しかし起こった物事が、その時点では本当に自分にとって幸運なことなのか、不運なことなのかは後になってみなければ分らない。👆🏾👆🏻👆

だから良いことでも悪いことでも、起こったその出来事に対する素直な感情は持っても構わないと思うけれど、それが幸か不幸なのかを決めてしまうのは早すぎるというわけだ。

どんな物事でも今後どのように展開してゆくかは誰もわからない。

昔の中国の故事成語に「人間万事塞翁が馬」というお話がある。🐎

”ある砦(塞)に近いところにおじいさんとその息子が住んでいました。ある日おじいさんの馬が遊牧民族の地へ逃げていってしまいました。

周囲の人は、おじいさんはさぞ悲しんでいるだろうと思いました。

しかしおじいさんは「これは幸福になるかも知れない」と言いました。

するとその馬が余所の地から、別の複数の馬を連れて戻ってきました。🐴

人々はそれを祝いましたが、今度はおじいさんが「これは不幸の元になるだろう」と言いました。

すると後に、連れてきた馬に乗った息子が落馬して足の骨を折ってしまいました。

人々がそれを見舞うと、おじいさんは「これが幸福の元になるだろう」と言いました。

1年後隣国の軍が攻め込んできて戦争となり、若者の多くは戦死してしまいましたが、落馬して足を折った息子は兵役を逃れたので、戦死せずに済みました。”

つまり今1つ起こったことが、未来にどのようなことを引き起こしてゆくかはわからないから、1つ何か起きるたびに一喜一憂しすぎない方がいいよ、ということだ。

また心理学の巨人ユングも似たようなことを言っていた:

”例えばお金が足下に落ちていたとする。ラッキーだなと思って拾おうとしたら、そばにあったテーブルの淵に頭をぶつけて、脳震盪を起こして入院した。ついてないなと思っていたら、入院先の看護婦さんがキレイで、その人と結婚した。しかし結婚したら彼女に尻に敷かれっぱなしで、こんなはずじゃなかったと。。。。”

これは1つの出来事がその先にラッキー、アンラッキーな出来事へと二転三転してゆくという例えである。🙂

だからお金が足下に落ちていた時点では、それが良いことか悪いことかなんてわからないのである。

そんな時ユングが言っているのは、「希望を持ったまま判断を保留しなさい」ということだ。

何か起こったときに、良い方向に考えすぎず、悪い方向にも考えすぎず、この先何が起こるかわからないと、常に平常心を保ち、希望を持ちつつも先行きを見守るのである。

人は舞い上がりすぎると、必ず足下を救われる。😔

自分が希望していた学校や会社に入れなかった、自分が恋人同士になりたいと思っている人と付き合えなかった、結婚したいと思っていた人と結婚出来なかった。。。

そんな時はとても落ち込むし、悲しいし、残念だと思うけれど、その状況が人生を好転させることだってあるのだ。🌷

大切なことは、心の中で「こうなったらいいなあ」という理想のイメージを描きながらも、今この瞬間を大事にしながら生きることなんだと思う。

だから先行きのことを期待しすぎたり、心配しすぎたりするということは、不必要な労力であるということだ。

「いま、ここ」に集中して生きることが平穏に上手に生きてゆくコツなのかもしれない。

 

みゆさん ( ´・ω・`)

 

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霊はいると信じた時に見える( ꒪⌓꒪)

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こんにちは、みゆさんです ( ꒪⌓꒪)

さて、あなたは幽霊を見たことがありますか?👻👻👻

UFOや宇宙人や妖精や妖怪などを見たことがありますか?👽👿

おそらくほとんどの人は実際にはっきりと見えたことがないというと思う。

しかし、本当にはっきりと見える人もなかにはいて、その人たちは一般的には霊感の強い人だと言われている。

私は誰もいない自宅、耳元で誰かが囁いたり、夜中に霊が自分の部屋に入ってくる音や気配を感じたり、以前の会社で女の霊が一瞬横切るのを鏡越しで見たことがある。しかし霊の姿をはっきりと目の前で見たことは一度もない。

現在ははっきり言うと、霊は物体としては存在しないと思っている。🙁

もし霊が存在するとすれば、見えるその人の心の中、脳の中で存在しているのだと思う。

私が霊の声や音や気配をよく感じていた時期は、よくホラー漫画を友達に借りて読んでいたり、怪談や恐怖体験を特集したテレビ番組を好んでみていたり、実際に霊は本当にいると信じていた。

そうすると、霊が存在する証拠を脳は五感を駆使して探し出そうとする。

日常的に漫画やテレビからインプットした霊のイメージの情報の記憶と、自分が今置かれている状況をつなぎ合わせて、頭の中で霊の出現を認識させ、「あ、これは霊の声だ!」「誰もいないはずの家に霊の影が!?」などと思ったりするのだ。

ではなぜ霊の姿そのものは見ることが出来ないのかと言うと、心の奥ではそれほど強く霊の存在を信じていなかったからである。🤐

あくまでも幽霊はエンターテイメントであり、フィクションであり、それだから楽しんで怖い怖いと言いながらも恐怖漫画やドラマや映画を観てしまうわけで、本当に霊が存在するとわかったら、そんな風に娯楽として楽しむことなど出来ないはずである。

本当に霊の姿をはっきりと見ることが出来る人は、心の深いところで霊の存在を信じている人なのだろう。

心の深い所で霊の存在を信じていたり、また鬱っぽくなっていたり精神を病んでいたりすると、覚醒レベルが下がり意識がボーッとしやすくなるので、霊のイメージを作り出しやすいとも言われる。

実際、現在私は霊をあまり信じていなくて、以前のように興味がほとんどないので、今ではまったく霊の気配も感じないし、霊の音も声もまったく聞くことがなくなった。

だから世の中の霊の存在を真っ向から否定する科学者たちには霊が見えるはずがないのである。

霊がいると信じた時から、霊が存在するようになるのだから。👆🏼

現実は脳内で作り出すと言われているから、幽霊が存在すると信じることで、幽霊が存在する現実が作られるのである。

幽霊ではないけれど、私が以前夜道を歩いている時に、前方10数メートルくらい先に、茶色いこんもりとした塊のような物体が見えて、私はそれが動物か何かの死骸だと思い込み、そう思い込むとどんどんその姿に見えてきて、恐る恐る震えながら歩いて近づいてゆくと、それはなんと茶色いマフラーだったのである!💭

それを実際に直視してマフラーだと判明する前は、その物体は確実に動物の死骸だと思い込んでいたし、茶色いフワフワとした毛に見えたし、目のようなものも見えたのである。その時は確実に私の頭の中では動物の死骸が存在していたのである。

霊の話に戻るが、以前に聞いた話で、もし霊が見えない人が霊を見たい場合見える方法があるらしいので紹介しよう。🤚

まず自分のベッドや布団などの寝床から見える位置に椅子を置き、その椅子の上に洋服を沢山積み上げる。洋服はなんでもいいという。積み上げ方は山のように無造作に積み上げるのだそうだ。そして大切なのは幽霊に関する情報を頭にインプットすることである。ネットで動画を観たり、怪談話を読んだり、恐怖漫画を読んだりするといい。そして霊がいると信じ込むことである。それだけである。

そうすると、夜中に目を覚ました時、霊の姿を見ることが出来るという。😱

カニズムを説明すると、先ほど椅子の上に積み上げた洋服群が人型の影のように見え、それにプラス「夜中に女の幽霊が部屋に現れる」という脳の中の認識が組み合わさるから、リアルな幽霊が目の前に見えるようになるのだという。

 つまりどんな物でも、自分の心の中に存在しているのならば、それは存在するのである。🌲

それが霊であっても、宇宙人であっても、妖怪であっても、妖精であっても。。。。

面白い例えとして、インドやチベットの仏教では「輪廻転生」という概念が信じられているから、「輪廻転生」のを裏付ける証拠がいっぱい見つかるのだと言う。

そしてアメリカやカナダなどの北米では元来このような仏教の「輪廻転生」の考え方はなかったけれど、近年の仏教ブームで「輪廻転生」の研究を始めだしてから、それを証明するような現象が次々と起こりだしたという。

つまり「輪廻転生」を「信じた」ことから、それが存在し始めたということである。

チベットのお坊さんはダライ・ラマを探しに行くときに、自然の中から手がかりを得るというが、葉っぱや石などの自然のものに文字が刻まれて現れているので、それを頼りにして探し出すのだそうだ。

しかしこれを信じない人たちにとっては、石や葉っぱに現れている文字は、ただの虫食い跡や元々ある模様やキズにしか見えないと言う。💧

つまり信じる人にしかその自然の中に現れる文字は認識出来ないし、存在しないということである。

 「世の中は悪人だらけである」と信じ込んでいる人にとっては、この世界は悪人だらけの危険な世界だから、外に出れなくなってしまうのも理解出来るし、「この世界はいい人だらけである」と信じ切っている人にとっては、この世界は生きやすい場所になるのは当然である。

だから「霊など存在しない」と主張する人たちが、「霊が存在する」と言う人たちを真っ向から否定し、嘘つき呼ばわりするのはダメである。

なぜなら、人それぞれに違う現実、宇宙が存在するわけだから、その人の見える世界では霊が存在しているし、だから霊が見えているわけだから、その人たちにとっては嘘ではないのである。

ただしその状況を悪用して、人を騙して多額の金を搾取したりするのは許されることではない。

人によって信じていることは違う。そして見えている世界も違う。🌏

それをお互いに尊重しながら、「霊が見える」人も「霊が見えない人」も平和に共存してゆくべきだろう。

 

みゆさん ( ꒪⌓꒪)

 

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