みゆさんのブログ

生きづらい独身女性たちの自由と平和のためのブログ

慢性的にある疎外感。。。 ’( ☻ ω ☻ )

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こんばんは、みゆさんです(´つω・`)

あなたには、慢性的な疎外感があるでしょうか?

どんなに周りの人と表面上うまくやっていても、心の片隅でなんとなく自分は異質であり、アウトサイダーであり、常に漠然とした孤立感が拭えないという状態である。

周りの人がみんな自分よりもまともな人間でリア充であり、自分などの非リアの変人は入っていけないと思うこともある。

職場でも、スタッフの人がリア充的な盛り上がりをしていても、その輪の中に入れるとは思わないし、むしろ入りたくないと思ってしまい、自分はスマホのネットの中に逃げ込む。

自分なんてのけ者だ、場の空気に合わない、だったら逸脱者らしく自分の殻に閉じこもっていよう。。。

そんな負の考えが頭をよぎることがある。

心が元気で体調もいいときは、あまりこのような気分にはならないのだが、自律神経のバランスを崩して疲れているときなどは、なにかあるとすぐに神経がピリピリし出して、心がザワザワし出して、孤立感を抱きやすくなる。

この慢性的に抱いている疎外感の発作が起こるか起こらないかは、その日の体調や精神状態だけではなく、そこが「自分の居場所」か否かであると思う。

自分の居場所とは、自分が自由に思いや考えや感情を表現できる場であり、それをその場の他人と共有し、意見の交換のできる場所のことである。

そのような場では「心理的安全」が必ず確保されるから、慢性的な言いようのない疎外感みたいな感情はわき上がりにくい。

しかし自分の居場所ではない場では、その場に入り込めない、ノリについていけない、話が理解できない、共有できない、というマイナスの感情がわき上がりやすく、劣等感やコンプレックスを刺激するから孤立感を深めてしまう。それは「心理的安全」が脅かされる場なのである。

では、「自分は世間のはみだし者だ、どこにも属さない」という疎外感を解消するにはどうすればいいのだろうか?

それは自分が主導で発信して自分から地道にコミュニティーを作り上げていくしかないのかもしれない。

家族や学生時代からの友人というのは、自分から作り上げたというよりも、必然的に環境に与えられたものと解釈していいような気がする。

自ら能動的に自分の好きなことや興味のあることに忠実に生きることで、ネットワークを広げていくことが大切なのだと思う。

疎外感を感じるということは、まだまだ他人や環境に依存してしまっている自分がいるのだろう。

真の意味で自立していれば他人など関係ないのだから。

 

みゆさん(。◕ ∀ ◕。)

 

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