凡人が「発信」するということ
こんにちは、みゆさんです( ̄∀ ̄)
ほんの少し前まで、世の中になにかを発信できる人なんてほんのひと握りの人たちだけだった。
特別な才能や運のある選ばれた人たちだけだった。
発信する媒体は、新聞やテレビや雑誌やラジオなどの大手のメディアが中心だったからだ。
もちろんマイナーな媒体もあったけれど、それはある特定の同じ目的や趣味を持った者同士が集まるコミュニティ内や、限定された地域内の狭い範囲内でしか共有されないものだった。
しかしIT革命以降、インターネットの発達により、私たち一般人も世の中に発信することが可能になった。
昔は市井の民の声など、マスメディアで取り上げられることなどなく、むしろ権力者にとって不都合な意見は揉み消されてきた。
現代は普通の一般人でも発信できる時代であり、共感を呼べば、それは広く拡散され、大きくバズり、世論を動かす力にもなっている。
また社会の弱者で、社会の隅においやられていたり、ひっそりと地味に生きている人々の居場所もできた。
それは2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)などを中心とするネット掲示板サイトである。
オタクの人や引きこもりやニートの人、いい歳になっても非正規社員で独身の人、発達障害の人、LGBTの人たちなどのように、社会の中でマイノリティであり、なかなか器用に生きられず、存在しているのに、見て見ぬふりをされ、いなかったようにされていた人々が、自分を表現し、存在をアピールできる居場所を確保できるようになった。
同じ境遇にいる人たちがネットの居場所に集まり、意見を交わし合い、情報を提供し合い、それが大きなコンテンツとなり、ひとつの文化を作ることがある。
嫌儲、独女、鬼女、喪女の板などはもう文化と言えるだろう。
ひと昔前は私のような40代のおひとりさまで、非正規の仕事しかしていない女は、想いを思い切り発言する場などなく、リアルの世界では本音を隠して、世間の冷たい風に晒されながらストレスを溜めて生きていかなければならなかった。
ところが素人でもネットの掲示板やブログやニコニコやツイキャスやSNSで、日頃の鬱憤や世間の理不尽さに毒を吐いたり、自分なりの意見を表現するチャンスができたのである。
私たちのような社会の強者たちに抑圧されていた時代から解放され、真に自由に生きられる可能性が出てきたのだ。
リアルが充実していなくたって、ネットの世界で思う存分自己表現できて、人々に影響を与えている人もたくさんいる。
地味で非リアの人でも、学校時代に隅っこ族だったような人たちにも陽があたる、輝けるような舞台ができた。
本当の意味で「個」が輝ける、多様性のある世界が実現できる可能性ができたのだ。
以前は変わり者で変人と言われ、生きにくかった人たちも、もっともっと生きやすく、成功できるようになってきた。
これは自分のような人間にとって幸せなことだ。
この時代の恩恵を受けて、もっともっと想いをこれからも発信していきたいと思う。
みゆさん(*☻-☻*)
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