もし自分がもうすぐ死ぬとしたら。。(。・ω・)ノ
こんばんは、みゆさんですc(・ω・`c
あなたはふだんから「死」について考えているだろうか?
できればあまり考えたくないと思う人が多数なんじゃないかと思う。
私たち人間は結局「いつかは必ず死ぬ」存在であり、この世の中で唯一の100%絶対に起こる真理が「生き物は絶対に死ぬ」ということである。
それが絶対的で避けられないことを知っているからこそ、私たちはあえて考えないようにしているのかもしれない。
また反対に、人によっては常日頃から死ぬことを意識しながら生きている人もいる。メンヘラでいつも自殺願望のある人もいるだろう。
私たちは基本的に、いつ病気や事故などによって死を迎えるかは予想することはできない。
もし私たちが何かしらの不治の病にかかり、余命があとわずかだと宣告されたとき、一体どうなるのだろうか?
キューブラー・ロスという精神科医が、私たちがそのような事態になった時の心の状態の過程を論じている。以下は引用である:
”受け身的な形で否が応でも自分の死に直面させられるのは、例えば不治の病を宣告された時であろう。その宣告によって自分の死が近いことを知った人は、自己を失うことをめぐる心の過程を経験する。キューブラーロスは死に瀕した人との臨床の中で、死を予期した人が次のような5段階の心のプロセスをたどることを見出した。
第一段階
死の否認と隔離:死から逃れられない事実を知らされると、衝撃と不安が激しく高まるが、それを否認する。例えば「誤謬」だとか「この病気に効く良い薬がまもなく開発される」という気持ちを抱く。
第二段階
怒り:健康な人への羨望が生まれたり、医療関係者や家族への攻撃的な気持ちがあらわになる。
第三段階
取引:疼痛や激痛、あるいは恐ろしい手術に耐えるといった「よい行い」をすることによって、神様や周囲の人たちから何らかの報酬ご褒美が得られると言う気持ちが生じたり、この願いさえ叶えられればもう死んでもいい、というような運命との取引の心理が生まれる。
第四段階
抑うつ:症状の悪化や身体機能が衰えると大きな喪失感を抱くようになる。特に世界との決別を覚悟しなければならないことに対する抑うつが高まっていく。
第五段階
死の受容:怒りも抑うつも覚えない需要の段階。周囲の対象に執着しなくなり、死を迎える準備が整う。”
突然ある時死ぬのなら、このような死の受容のプロセスを経る必要はないけれど、近い未来に自分が死ぬとわかっているとしたら、このような心理状態になるのは理解できるような気がする。
あの解剖医学博士の養老孟司先生は死について「眠るようなもの」と著書の中でおっしゃっている。
私自身は正直いって、自分が死んだあとのことなんでどうでもいいと思っているし、考えても仕方がないと思っているから、あまり考えない。
ひょっとしたら生きることに対して執着が薄い方な気がする。
今日平和に生きられたらそれでいいかな、と。
ただ身体が痛いとか苦しいとかはやっぱりイヤなので、健康には気をつけて病気にならないようにはしている。
例え明日目が覚めないとしても悔いが残らないように、今日1日を生きられたらいいのだろう。
みゆさん (っ´ω`c)
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