自分が自分を解放してあげる╰(*´︶`*)╯
こんにちは、みゆさんでーす ヾ(❀╹◡╹)ノ゙
自分は自分の作った檻の中に閉じ込められている。
自分は自分の見張り番であり、檻の中の自分を監視している。
気分が憂鬱な時、その憂鬱な気分を作り出しているのは自分である。☔
イライラしている時も、そのイライラな気分を作っているのは自分である。⚡
不安や悩みがある時も、それを敢えて抱えこんでいるのは他ならぬ自分自身。🌪
人はそれらは皆、他人や環境が作り出していると思い込んでいる。
しかしすべては自分の責任であり、自分に端を発している。
憂鬱やイライラや不安や悩みは、自分自身が能動的にそうすることを選んだ結果であり、誰かに押しつけられたわけでも、環境がそうしたわけでもないのだ。
ストレスを溜め込んでいるのも実は自分自身が選んでやっていることだ。いや溜め込むというよりも、自分でそれを”ストレス”と決めているという面もある。⛈
「いやいや、そんなことあるわけがない、自分自身がそんなことを好き好んで選択するわけがない」「自分自身ではコントロール出来ることではない」
などと否定する人も多いと思う。しかし自分の感情や状態は、すべて自分自身が望んでそのようにしているのである。😑
自分は自分を束縛する。自分は自分の奴隷になってしまっているとも言える。👮
自分自身が自分を窮屈な所に押し込めてしまい、その結果どうなるかというと、
自分はこうでなきゃダメだ。
自分は人にこう扱われなくてはいけない。
自分の生活はこのようでなくてはいけない。
自分はこのようなことをしてはいけない。
自分は男らしく/女らしくなきゃダメなのだ。
自分は企業のような組織の中でサラリーマンとしてしか働けない。
自分は派手はことはしてはいけない、大人しく地味にしていなければいけない。
自分は素直になってはいけない、人に弱みを見せてはいけない。
自分はいつも他人のために優しくし尽くし犠牲にならなければいけない。
自分は必ず親の言うことを聞かなければならない、決して背いてはいけない。
人それぞれだが、このように自分が自分に決めつけそして禁止する。👎
人が幸せになれない原因はここにあるのだと思う。
不快な気分、不幸せな気持ち、窮屈な人生から脱出するには、自分を自分の奴隷から解放する必要があるのだ。
しかし人は言う「でも他人の目が気になるから」「周りの人や家族と上手くいかなくなるから」「他人に迷惑が掛かるから」と。
私たちは他人のために生きているわけではないだろう。
自分の人生に責任を持つのは自分であって、他人が自分の人生に責任を持ってくれるわけではない。
自分のことを自分自身が一番よくわかっているわけだし、他人の都合に合わせていちいち自分を押さえ込んでいたら、本当に自分にとって幸せな人生など送れないのである。
それに自分が本当に望むことをすることは、実は周りにとっても良い影響を与えるとも言われている。自分が心底望むことをやることが、結果的に世の中のためにもなり、他人を幸せにするということは確かにあると思う。🌟
この心底望むことというのは、損得抜きでひたすら打ち込みたいと思うようなことである。そこには依存心とか損得勘定などは一切ない。
さて、このように偉そうに熟々とと書いているかく言う私も、得てして自分を自分の檻に閉じ込め、「やるな、やるな」「おまえは臆病者だ」「そんな勇気はないだろう」「世間の笑いものになるよ」「親がものすごい怒るよ」と脅し挫かせ邪魔しようとして自分を虐待する冷徹な自分自身の看守である。⚔⚒💀
いつも自分という看守は、「不真面目はダメだ」「規則正しく生活しろ」「親が見ているぞ」などとうるさくガチガチに束縛してくる。😰
しかし私は自由になりたい。自分の檻から解放されて自由になりたいのだ。🤣
「今日は何もしなくてもいいよ」
「好きにダラダラとして好きなだけ寝ているといいよ」
「人に笑われたっていいじゃない。やりたいことをやりなよ」
と自分を許して解放してあげたいよ。
自分は自分の看守を辞めて自分から離れてみようと思う。
自分を自分の檻から完全に出してあげようと思うよ。🦅