他人と自分とのちがいではなく、共通点をみつける (ΦωΦ)
こんにちは、みゆさんです (ΦωΦ)
あなたは自分とまわりの人たちとの間の「ちがい」を見つけやすい人でしょうか?それとも「共通点」を見つけやすい人でしょうか?
私は他人とは「ちがい」を見つけやすい方で、そのちがいを見つけては自分がダメだと思ったり、劣等感を抱いたり、自分はみんなとちがう変人だと思ったりして、自分で勝手にアウェイ感を感じたり、孤独に陥りがちである。
特にこれと同じ傾向があるのが、オタク系、非リア系の人たちなんじゃないかと思う。😐
その思考の傾向が、リア充と非リア充という、人間を大きく分けて2種類に分断する思想をつくりだした要因になっているのかもしれない。😓
他人とのちがいばかり目についてしまうと、自分が劣っていると思い込みやすくなったり、反対に自分が人より勝っていると傲慢になったりする。
自分には彼氏・彼女がいないのに、他の人みんなにはいる。自分はお金がいつもないのにあの人はいつもお金持ちである。自分は服がダサいのにあの人はいつも流行の服を着ておしゃれだ。自分には友達がいないのに、あの人はいつも友だちに囲まれて楽しそうだ。。。😭
自分と他人の間のちがいを探し出したら切りがない。
あまりにこの傾向が強いと、自己否定につながるし、自分自身を傷つけるようになってしまう。
自分を慈しみ自分に優しくするというセルフコンパッションの考え方では、他人と自分のちがっているところではなく、「他人との共通するところ」に目を向けるという。
それはたとえば、となりにゴリゴリのリア充のイケてる若いファッショナブルな美男美女のカップルがいたとする。このような人たちと非リアの中年独女のあいだに共通点を見いだすということである。💧
うーん、おそらく、「日本人である」とか、「日本語を話す」、「人間である」、くらいしか思い出せないが、まあ共通項と言えば共通項である。
これがアメリカ人となると、共通点は「人間である」「地球人である」というさらに大きい括りになるだろうが、一応あることはある。
まあどんなに自分とかけ離れていると感じるタイプの人間であっても、犬や猫などの動物よりかは共通する部分が多いことは確かだ。🐶🐱
私は仕事で接する若いリア充の学生の客があまり好きではないが、とりあえず同じ人間であり、同じ土地にいま居るという点が同じなわけだから、自分に優しくするように彼らにも優しい気持ちで接しようという気になる。
また小さい子供連れの若い夫婦の家族とかを見ても、どうしても自分とは別の世界の人たちだなあ、と思いがちなのだが、それでも同じ日本人であり、同じ日本という国家の下に生活をしている一市民なんだと考えれば、まあ仲間と考えることができよう。
人が幸せになるためには、他人を敵ではなく仲間だと思うことが大切だと、アドラーの本を読んで知った。
今まで慣れてきた思考のクセを変えるのはむずかしいけれど、自分と他人のあいだに共通点を常に見いだしていこうと思う。
みゆさん (ㅎωㅎ*)
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