自分を愛しているのか?それともただのナルシストなのか?•̀.̫•́✧
こんにちは、みゆさんです (/ω\)
よく心理学系やスピリチュアル系などの本で見かけるのが、幸せになるには”まず自分を愛することである”という言葉である。🌹
この「自分を愛する」ということがどういうことなのか理解出来るだろうか?
わかるようでいまいちよくわからないのがこの「自分を愛する」という言葉である。
本来の「自分を愛する」の意味とは、自分のすべてを受け入れることであり、自分の良い所、悪い所、強い所、弱い所、情けない所、素晴らしい所、恥ずかしいと思う所、卑怯な所、などすべてをひっくるめて善悪の判断をせずにそのまま受け入れることである。どんな部分も目をそらさずに認めてそれらを丸ごと「自分」として好きになることである。そして自分自身で慈しんで育ててゆくことだと言う。🐣
そうなると世の中で、よくSNSで自分大好きを公言して自撮りをUPしまくっていたり、会社や学校など一般社会でも自分好きをアピールしている人っていうのは、果たして本当に自分を好き、自分を愛していると言えるのだろうか?
個人的に思うのは、そのような人を見かけるたびに、その人が本当に幸せそうに見えなくて、そのような人々に共通するのは、なんとなくわざとらしく演技的で、少々傲慢さが垣間見えることである。🙁
自分を愛している人と、自分大好きと公言している人は何かが違うのである。
はっきり言って後者の自分大好きアピールの人は、等身大の自分というものを受け入れておらず、自分の理想とするなりたい自分、誇大妄想で出来上がった別の自分を愛しており、実際にそのような自分だと勘違いしていて、自分があたかも特別な人間であり、すごい人間であるかのように振る舞う。😨
しかしそのような人ほど、心の奥底では自信がなくて自己否定している傾向が強い。
そんな自信のない、自己の存在価値に対して揺らいだ気持ちを持っているほど、虚像の自分を作りたがるしそれに固執する。
つまりこのようなただ自分好きをアピールするだけの人は、「ナルシスト」なのである。🌺
ただのナルシシズムであり、自分を信じているとか自己肯定しているとは違う。
本当は実力なんてそんなにないのに、実際以上の実力や能力が自分にはあると思い込み、自分は特別だと思い、悪い時には他人を見下したりする。😥
実物は自分を愛するとは程遠いただの自惚れ屋なのである。💧
一方本物の自分を愛している人は自然である。🌳
何もわざとらしさや無理をしている感じがしない。演技的な所もない。
自分のダメな所だって受け入れているし、かと言ってそれを卑下することもない。
もちろん自分の良いところもちゃんと認めており、かと言ってそれをひけらかして自慢することもない。
自然に自分のすべてを丸ごと受け入れているのである。🐦
自分の存在自体をそのまま認めて愛しているのである。🐧
私自身はまだ自分を愛しているとは言い切れないかもしれない。
まだまだ「こんな自分だったらなあ~」「こんなことが出来ている自分だったらなあ~」という妄想をいつも抱いている。
そして自分のイヤな所に対して時々目をつぶってしまうこともある。💧
「ひょっとしたら自分はすごい能力を持っているんじゃないか?」とか期待することもある。💦
「自分は特別な人間だ」とまでは思わないとしても、「特別な存在になりたい」と思っているかもしれない。
そんな自分の恥ずかしい部分さえも受け入れることが「自分を愛する」ということになってゆくのだろう。
誇大妄想した別の自分像にしがみついたって仕方がない。だってそれは自分じゃないから。🦄
いつまでたっても何も出来ない、何も成し遂げられない、結果を出せない、腰が重い、それだって自分である。そんな目を背けたくなるような恥ずかしい自分であっても、良いとか悪いとか考えずにまず受け入れるのだ。🐈
そしてそれを認めつつも責めないようにする。自分いじめになるから。
自分を大切にしつつ様々な解決策を考えてゆくのである。🦆
みゆさん ٩( ‘ω’ )و
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