みゆさんのブログ

生きづらい独身女性たちの自由と平和のためのブログ

トラウマは存在しないらしい (๑˃̵ᴗ˂̵)و

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こんにちは、みゆさんです (๑•́ ₃ •̀๑)

トラウマって大小の個人差はあれど、誰にでもあると思っていたし、みなさんもそのように思うのではないだろうか。

しかしトラウマというのは存在しないらしいのだ。🙀

これはどういうことなんだ?❓

例えば、ある人が何年も自宅にこもりっきりで、本人は外に出たいと願っているし、仕事も持ちたいと思っている。しかし彼は外に出ることを非常に恐れており、一歩でも外に出ようとすると、手足がガクガクと震え出し、動悸が始まるという。一種の神経症のような状態ともいえる。

何が原因でこの人はこのようになってしまったのかと考えると、一般的に考えられるのが、育った家庭環境に問題があり、親に虐待を受けていたとか、学校や職場でイジメを受けた経験であったり、逆に甘やかされすぎて育った、などであろう。

つまり過去に何か神経症を引き起こすようなトラウマの原因があると考えるのが普通である。

この人が外に出られなくなったのは、両親から虐待を受けて育ち、愛情を知らないまま大人になったからであり、だから他者と関わるのが怖いし、外に出られない。というストーリーは充分にありえる話である。🤔

しかし、このように「あらゆる結果には原因がある」と考えると、現在のわたし(結果)は過去の出来事(原因)によって決められるということになる。

しかしそうなると、私たちの現在、未来は、すべてが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものだということにもなる。

また、同じように両親に幼いころに虐待を受けて育った人でも、引きこもりにならずに社会生活を送っている人も沢山いるわけだし、すべての起こっている事象の理由を過去を原因として規定していたら、辻褄が合わなくなってくる。

そうなると、じゃあ現在の引きこもり状態、神経症で苦しんでいる現状をどう説明できるんだ?ということになる。🙄

そんなときは過去の原因を考えるのではなく、今起こっていることの「目的」を考えればいいという。

不思議に思うかもしれないが、今現在引きこもりになっている「目的」は何なのか?と考えるのである。

「不安だから、外に出られない」のではなくて、実は真逆で、

「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるということである。

驚くかもしれないが、「外に出たくない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情を作りだしているのである。😲

もちろんこれは本人が仮病をつかっているのではない。本人は本当に不安と恐怖におののき苦しみ、身体的にも震えや冷や汗や動悸などの症状が出ている。

まさに「原因論」と「目的論」の違いである。

トラウマ論はまさに原因論であり、フロイトが最初に提唱したものだが、今ある問題の原因が過去にあるとわかったところで、ただ慰めるだけで終わりである。

いわゆるトラウマに苦しむだけではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定するのではなく、経験に与える意味によって自らを決定することが大切なのだと、アドラー心理学では言われている。🌷

これがどういうことかというと、確かに幼い頃に両親から受けた虐待や、大きな災害に見舞われたという出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロとは決して言えないし、影響は強くあるけれど、その経験によってなにかが決定されるわけではない。

私たちは過去の経験にどのような「意味」を与えるかによって、自らの生を決定している。人生とは与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分である、ということである。🌳

もしこの引きこもりの人が「自分は両親に虐待を受けたから、社会に適合できない」と考えているとするならば、そう考えたい「目的」があるのだ。

それはおそらく「外に出ない」という目的であり、外に出ないために不安や恐怖を作り出しているということだろう。

じゃあ、なぜその人は外に出たくないのか?ここを疑問に感じるかもしれない。

もし私たちがこの人の親だったら、子供が外に出ず引きこもっていたら心配するでしょう。

そう、外に出ずずっと部屋に引きこもっていたら、親が心配する。つまり親の注目を一身に集めることができる。まるで腫れ物に触るように丁重に扱ってくれる。

ところがもし、家を一歩でも出てしまうと、自分は誰からも注目されない”その他大勢”になってしまう。誰からも大切にされない、人々の中に埋もれた見劣りするただのダメ人間になってしまう。

じつはこの理屈は引きこもりの人の多くに当てはまるという。

つまりこの引きこもりの人は自分の「目的」を成就させているということなのだ。

トラウマを肯定しすぎて、それを現在の問題の原因であると確定してしまうと、それはつまり「過去に支配される」という構図に自ずとなってくる。⏲

時計の針は決して元には戻せない。タイムマシンでもない限り、過去には決して戻れないし、すでに存在していないものなのに、その過去に縛られたままでは、この先ずっと幸せにはなれないということになる。

過去がすべてを決定し、過去が変えられないのであれば、今日を生きる私たちは人生に対してなんら有効な手立てを打てなくなってしまう。

その結果、世界に対して絶望的になり、人生をあきらめるような虚無主義ニヒリズム)に陥ることになる。💀

過去にどんなことが起きたとしても、大切なのは「なにがあったか」ではなく「どう解釈したか」である。

その出来事にどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくるというのである。

”人は変われる”ということを前提に生きてゆくならば、このような考え方がしっくりくると思う。

そう考えると、”うつになってしまったからもう仕事が出来ない”という状態も、「仕事にはもう行きたくない」という目的があって起こる身体症状なのかもしれない。

仕事にはもう行きたくない、と思うならば、さっさとその仕事をやめてしまえばいいわけだから、うつ病がきっかけでも何でも、会社に行かなくなって辞める方向に行くのならば、目的は達成したことになる。

「目的論」で考えていくと、もっと冷静に出来事をとらえられるようになると思う。

 

みゆさん (*´・∀・)

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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