イメージと英語をつなげる、日本語から訳さない (◍•ᴗ•◍)
こんにちは、みゆさんです ╭( ・ㅂ・)و ̑̑
よく英語に慣れていない日本人の人が英語を話そうとするとき、最初に言いたい日本語を思い浮かべてから、それを頭の中で英語に訳して発話する。
英会話を学び初めて初心者の人は、ほとんどの人がこのやり方で話しているのだと思うが、時間が掛かるし、頭も疲れて、簡単な会話のやりとりであってもけっこう疲れるのではないかと思う。
まず日本語を英語に訳す、そして反対に英語を日本語に訳す、というのは、実はかなりむずかしいことで、互いの言語の性質の違いが大きければ大きいほど困難になる。
特に日本語と英語は、お互いに性質のまったく異なる、共通点の少ない遠い言語同士で、これを頭の中で会話のたびにいちいち翻訳していたら、エネルギーを消耗していくだけで、会話もスムーズに運べないし、第一楽しめないと思う。
しかし日本の学校の英語の授業は基本的に日本語で行われているし、英単語もフレーズも日本語訳付きで覚えているわけだから、そのような教育を受けてきた今の大人の人が英会話がスムーズにできないのは仕方がないと思う。
私たちが言語を話すときに、私たちの脳の大脳皮質にある「言語野」と呼ばれる言語中枢を働かせているわけだが、この言語野も言語ごとにちがう領域にあるらしく、日本語は日本語の言語野を使い、英語だったら英語の言語野を使っているということになるそうだ。
そして日本語を英語に訳してから話すというやり方は、日本語の言語野で英語を話そうとしている状態であり、それが自然な会話を成立させることを困難にしている原因のようである。
英語を少しでも流暢に自然に話すためには、英語の言語野を働かせなければならない。
そのためには「日本語と英語」ではなく、「イメージと英語」または「英語と英語」をつなぎ合わせて学ばなければならない。
「英語と英語」は英語の母国語話者か、そうでなくても慣れた人でないとむずかしいと思うので、私たち日本人には「イメージと英語」をつなげて覚えるのが1番効果的だと思う。
私自身は昔「絵で見る英語」という本でよく勉強していたことがある。
この本はイラストと英文だけしかのっていない本で、棒人間みたいな人間とモノや状態のイラストを見て、それが英語だと何と表現されるかを視覚だけで認識できるようになっている。
例えば、棒人間がリンゴを食べているイラストの横に「I am eating an apple.」と書いてあるだけで、それ以外の情報はない。でもその状況と英語がスッと頭の中に入っている。
最初はものすごく簡単な単語1語から始まり、それがだんだんと少しずつ長いセンテンスになっていく。
この本で勉強するときには日本語が意識に介入してこないから、イメージと英語をつなぎ合わせるのに役に立つのだ
またこのような勉強と平衡して、英語のリスニングをたくさんやることも重要だと思う。とにかくたくさん聞き込んで、英語が最初は音にしか聞こえなかったものが、言葉に聞こえるようになってくるだろう。
英語を学び始めてしばらくの間は、大人の人は日本語で考えないで話したり聞いたり読んだり書いたりするのはむずかしいかもしれない。しかし徐々に少なくなっていくと思うし、最終的には英語を使うときは、英語で考えるという習慣ができてくると思う。
ぜひ日本語から訳すのではなく、イメージと英語を結びつけるやりかたで勉強してみてほしい。
みゆさん o(・ω・。)
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仕事が趣味になんぞならない ⊂((・⊥・))⊃
こんばんは、みゆさんです (・∀・)
前の職場にバリバリ仕事のできる女性の上司がいて、こんなことを言っていた。
「やっぱ仕事は趣味じゃないとね」
これを聞いたとき、いいなあ、うらやましいなあとすごく思ったのを覚えている。
だって自分はそんなふうに、仕事が趣味だなんて一度も思ったことがないし、それほど好きだと思ったこともなかったからだ。
もし仕事が趣味だと思えたら、どれだけ毎日楽しいだろうと想像する。
しかし、やはり仕事が趣味になるなんてことはないし、楽しい娯楽になるとはとても思えない。
仕事はあくまで収入を得て生活の糧にするものであり、疲れたり、ツライ部分が多いもので、それを辛抱して対価をもらうもの、というのが真実だと思う。
仕事で自己実現なんて出来るはずがないのだ。
仕事は仕事であり、趣味は趣味である。
仕事はリラックスできないし、緊張感の中で行うもので、趣味は心からリラックスし、自分の魂を癒してエネルギーをチャージできるものである。
仕事をしているときの自分は言わば社会に向けたペルソナ、仮面をつけた状態の自分であり、趣味に没頭している自分とは素の本当の自分なのだから、両者は決してイコールではなく、車の両輪みたいなものなのである。
だから仕事の中で自己実現しようとか、自分らしさを発揮しようとかあまり思わない方が良さそうだ。
それよりも、出来そうなことをとりあえず仕事にして、生活費を稼ぎ、その余力で趣味を楽しむ生活をする、という発想で生きた方が楽な人生だと思える。
仕事によって人格が磨かれて、自分の魂も成長する、というのも幻想であり、むしろ世間の恐ろしさや人間の汚さや理不尽さで嫌気がさすことの方が多く、自分の健康な私生活を脅かすほど没頭し、エネルギーを注ぐのは危険だとさえ思う。
仕事はあくまでも生活を支えるためにお金を稼ぐためのものなのである。
本当に好きなことは、仕事としてやるよりも、無償でも好きな時に好きなだけやる自由な趣味として留めておいた方がいいだろう。
みゆさん (*☻-☻*)
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1人1人が自分の宇宙の主人公 ( •ω•ฅ)
こんにちは、みゆさんです (ΦωΦ)
「一人一宇宙」という考え方があるそうです。💫🌟
これはつまり、私たち一人一人が、一つずつ違う宇宙を持っており、私たちはそれぞれの宇宙の主人公だという。✨
すなわち他人の考えや価値観に沿って生きることは、他人の宇宙を生きることであり、自分の宇宙を生きていないことになってしまうという。
自分の宇宙が存在しないことになり、つまりそれは自分は生きていないということになるのだともいう。
「一人一宇宙」である限り、あなたの宇宙はあなたのものであり、私の宇宙も私のものである。あなたの親も配偶者も子供も兄弟もみな、それぞれの違う自分の宇宙の住人であり、あなたとはちがう宇宙を生きているということになる。
だからあなたの宇宙の主人公はあなたであり、その宇宙での主人公の役割や、どういう人生を送るのかは自分で決めることができるのだという。
ただしそれができるのは生きている間だけである。🌎
あなたが果たした役割はどんなことであっても、そこから縁起が生まれ、情報的縁起として後世に影響を与え、永遠に生き続けるのだという。
だからその機能・役割を果たすために、「いま、ここ」を生きることが大切なのである。
「一念三千」という言葉があって、人間の一瞬の心の中に、現在、過去、未来のすべての現象が入っているといった意味である。
明日のことを考えるのも妄想だし、昨日のことを回顧するのも妄想なのだという。ただあなたの記憶とか心と呼ばれる作用があるだけである。
確実な生きている瞬間は今現在だけであり、そこを味わって生きるのが人生ということだ。
そして今あなたが何らかの恐れや悩みを抱いているとしても、それもただの心の作用であり、妄想であるという。
恐れや悩みという感情があるのは生きている証拠であり、一つの娯楽として捉えるのがいいという。
とにかく自分は自分だけの宇宙を持っているわけだから、自分がその物語の監督であり演出家であり脚本でありプロデューサーで、いくらでも自分の人生のストーリーを作り、書き換えることができるということである。🎬
一人一人がそれぞれの一つの宇宙を持っている。そしてその宇宙の主人公である。
そう思うと、もっと自由な発想で生きていいんだと思えてくる。
理想の宇宙の形を考えて、そのようになるには、自分がどう機能していけばいいのか考えることも有益なのだと思う。
このようなことがわかると、もっとポジティブになれるような気がしてきた。💐🌈
みゆさん ( •ω•ฅ)
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この世で生きる機能、役割のこと ٩( ‘ω’ )و
こんにちは、みゆさんです •̀.̫•́✧
先日は、人生は生きるためにただ生きる、という話をしましたが、それにプラス大切なのは、人生には「機能」の視点があるということである。
それは「役割」という意味でもあるようだ。
たとえば自分が卒業した学校は、自分にとってその学校は卒業したという機能であり、学歴という機能になるし、学校側からみたら自分は卒業生という機能をもつことになる。
存在には必ず機能が備わっているのだという。
イエス・キリストが生きているあいだに果たした機能によって生まれたキリスト教は、死後2000年経った今でも、世界の人口の半分の人々に影響を与えている。
もちろん会社だったら、それぞれの仕事に対して1人1人そのための機能になっているということになる。
主婦の人だったら家事をやったり家を守る機能を持ち、お子さんがいれば子供を育てる機能を持つことになる。
人間に限らず、もちろんモノもあらゆる機能を持っている。
コピー機はコピーをする機能、洗濯機は洗濯をする機能、携帯は電話やメールなどをする機能といった感じである。
そうなると、いつもぼうっと家でテレビを観ているだけの人は、テレビの前の壁となんら変らない機能しか果たしていないということにもなる。
これが同じ引きこもっている人でも、ネットで掲示板のスレを立てたり、積極的に書き込みをしているのならば、情報交換によってネット民とのコミュニケーション相手の機能も果たしているし、有益な情報をある人に与える機能も果たしているということになる。
このように機能にはさまざまなものがあり、少なくとも人間は自分の機能をある程度コントロールすることができるのだという。
そして生きている間の機能は死後も続き、消えてなくなることはないのだそうだ。
ただ生きている間にどのような機能を果たせるのかは、その人の生まれ持った能力とか境遇とかも影響するとは思うが、それでも本人の努力でなんとか担える機能もあるようだ。
何をしたらいいのかわからない、自分の機能がみつからないという人は、おそらくヒマすぎるのではないかといわれている。
そんな時は「中性の貴族みたいなものだ」と思えばいいらしい。貴族は荘園の農奴たちが働いてくれるおかげで、働く必要がなく、捕食と種の保存、そして芸術や演劇といった若干の趣味だけで生きていたらしく、それと変らないということである。
親の収入で暮らしているニートの人たちは、昔の農奴が親に代ったみたいなもので、自分は貴族と同じであり、とりあえず親が死ぬまでは貴族として生きられるでしょうし、もし財産を残してくれれば、その後もなんとか貴族として生きながらえることも可能ということである。
それでもやはり生きているうちは、自分がどんな機能を宇宙の中で果たせるのかを考え続けた方がいいし、それによって自分はこの機能が果たせるかもしれない、というものを見つけたほうがやはり意味の深い人生になるだろうと思う。
そしてその自分が果たせる機能はなにかを決めるのは「自分自身」であり、他人から植え付けられた価値観では決してない。
親とか先生とか周りの人間ではなく、テレビなどのメディアでもなく、自分自身の心が自分の価値、この世の機能・役割を決めるのである。
どんなに周りから奇妙だとか変っていると思われても、それが自分自身が見つけた自分の機能ならば、それを信じてそれを行うのが大切だということだろう。
みゆさん ( ・⊝・ )
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歩くために歩く ( •ω•ฅ)
こんにちは、みゆさんです (´-д-`)
わたしたち生きている人間にとっての最終目的は「死」である。
少し宗教的だと思うかもしれないけれど、実際はそうである。
そしてこうして生きている毎日は、その目的へ向かう途中の過程であり、そこを意識して生きることが「人生」なのだという。
苫米地英人博士の著書の中にこのような文章があった:
釈迦にまつわるこんな話があります。
釈迦は、弟子たちとともに、北インド地方を歩き続けました。北インドには雨期があり、道が泥沼のようになるため、その時期だけは精舎にこもっていたのですが、それ以外はずっと歩き続けていました。釈迦は布教というよりは、自らの悟りを目指していましたから、歩きまわることに大きな意味は無いはずです。もちろん、目的地もありません。ある時、弟子が釈迦に尋ねました。「いったい私たちは何のためにどこを目指して歩いているのでしょうか」釈迦はこう言いました。「歩くために歩いている」つまり、歩くことそのものが目的だと言うわけです。
これは現代でいうと「ドライブに行こう」というのと同じことで、「ドライブに行こう」だとドライブそのものを楽しむことであり、一応は江ノ島とかお台場とか目的地は決めるんだけれど、ドライブという途中の過程を楽しむことが目的なのである。
それと同じように人生というのも、最終目的地に到着することが目的なのではなく、「人生を生きること」なのだから、その時間を目一杯楽しんだほうがいいということだ。
お釈迦様がいった「歩くために歩く」とは「生きるために生きよ」という意味なのである。
それには今、生きているということをしっかりと意識に上げることが大切なのだという。
呼吸をしている、自分のその呼吸を意識にあげる。歩くときも足の裏が地面につく一歩一歩を意識に上げる。ごはんを食べるときも、ごはんの味、におい、温度、色、歯ごたえなどを意識にあげるということである。
ちゃんと今やっていることを意識する。それだけで私たちはちゃんと生きているということであり、それならば普通にただ暮らしているだけだって、ちゃんと人生の過程にいるということだ。
だから例え引きこもっていて毎日家にいるのだって、そこでのすべての自分の動きを意識にあげて生活しているならば、それも確実な人生ということだ。
また自分の行為を意識に上げるというのは、自分という自我の外側から自分を見ることである。
それには高い視点から、高い抽象度で俯瞰して見るようになるのだから、覚醒状態になるのだという。
このように自分の行為一つ一つを意識に上げるように心掛けるだけで、生きているという実感をより強く感じられ、覚醒を実感できるというから、私も時々あてもなく近所に歩きに出かけることがあるので、ただ歩きながらも、一歩一歩の足取りや、呼吸などを意識に上げていこうと思う。
みゆさん (。・ω・。)
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日本の街はどこもオワコン、閉塞感がある (。-∀-)
こんばんは、みゆさんです (-_-)zzz
私は神奈川県のとある観光地で販売の仕事をしているのだが、最近人々はモノを買わなくなったんだなと日々感じる。
まず通りすがる人たちの多くは手ぶらが多い。
あまりお金を持たない若者たちは、モノなど買えるはずがなく、彼らは食べ歩きでちよっとしたものを食べたり、各店の試飲や試食で腹を満たすため、レストランにも入らない。
年配の人たちも手ぶらが多く、昨日もうちの店でも、ちゃんとした身なりをしており、一見まともなそうに見える3人のご婦人が来店し、入るや否や、試飲のドリンクを勝手に次々とついで、「こちらでおつぎしますのでお待ち下さい」と3、4回注意したのに無視され、挙げ句の果てには「美味しかったわね〜」と何も買わずに帰るという、、恥も何もあったもんじゃないって感じの人たちがいた。🥶
じつは日本中どこでも、観光地でも繁華街でも、みんなモノをあまり買わなくなったらしい。
つまり人々はお金がないのである。🙅♂️💴
日本人だけではない。最近はインバウンドが莫大に増えて京都や奈良とかあらゆる観光地が外国人観光客で混雑していると言われているけれど、実際は日本に来てもそれほど買い物をしていなくて、そんなに沢山お金を落としているわけではないそうだ。😓
しかしそれでも、外国人観光客がいなければどこの店も施設も破綻してしまうのは目に見えている。
新宿にいったときも、新宿御苑はほとんど外国人だったし、先日行った横浜のカップヌードルミュージアムも8割くらいが外国人だったし、日本人なんていないのである。
もうどこもかしこも外国人に頼らなければ、日本の商業は維持できない時代なのだ。
そんな外国人だって、爆買いはもうしてないし、沢山モノを買ってくれるわけではない。
ただ混雑して、ゴミ問題や交通機関の混雑を招き、京都や鎌倉のように住民の生活をおびやかすようになってきている。😱
仕事先の店も、土日だからといって、以前よりも全然売れなくなった。客も入ってこない。それでも外には一応人は沢山歩いているのだ。
世の中はブラック企業だらけで、人々は疲弊しきっていて、うつ病や精神疾患を患う人や自殺してしまう人も多い。
これから消費税も10パーセントに増税になるのは避けられないみたいだし、ますます私たちの暮らしは余裕がなくなり、さらに苦しむ人が出てくるだろう。
もういっそのこと、国がベーシックインカムを採用し、AIが飛躍的に発達し、衣食住にコストがあまりかからなくなって、VRなども革命的に技術革新して、人が会社に行って働かなくてもいい世界になればいいのにと思う。
とにかく毎日、特に令和の時代に突入してからより一層不穏で閉塞感のある空気を感じるようになったのは本当だ。
そんな不気味な時代に流されてしまわぬように、いつも情報をキャッチする感性のアンテナを張り巡らせておこうと思う日々である。
みゆさん (・Д・)
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人は本来は怠け者、遠くを見てはいけない (>_<)
こんばんは、みゆさんです ( ̄∀ ̄)
人は本質的に怠け者だし、すぐに腰が重たくなり何もしなくなる動物だ。🐈
だから何か長期的な目標を掲げることは、じつは不向きであり、遠くをみてしまえば、迷いや気のゆるみにより、うまく没頭することができなくなる。それが人間というものだ。
じゃあ何ができるのかというと、先を見るよりも「今日という1日」に期間を限定し、今日1日でギリギリ達成可能なレベルのやるべきことを目標として、それに向けて猛ダッシュするやり方が私たち怠惰な人間に合っているのだという。
今日1日で資格試験のテキストを5ページやるとか、ジョギングで3キロ走るとか、自己啓発本を一冊読み終えるとか、お弁当用のおかずを7種類作って冷蔵保存する作業を終わらすとか、取り組んでいるプログラミングやプロジェクトの書類作成を絶対にここまで終わらすとか、、、
これは余裕で達成できるレベルではダメらしく、なるべくなら、できるかできないかのスレスレの課題を自分に与えるのがいいらしいのだ。🏗
その方が達成感がより一層強くなり、またその快の感覚を得たいと思うから、またやりたいと思うようである。
私たちはだるくてやる気が出ないのはある種当然であり、遠くの未来を思い描くことも苦手で、いつもブレてばかりの生き物なのは仕方がない。
今すぐできることにフォーカスしながら、その連続で毎日生きていくしかないのだ。
みゆさん _(:3」z)_
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