時間は未来から過去へ流れる (*´・∀・)
こんにちは、みゆさんです ( ´・ω・`)_且
前回は自分を変えたいなら「これまでの自分を丸ごと捨てる」という話をした。
それをするには、まずは時間に対する考え方を反転させなければならないという。
私たちは一般的に「時間は過去から現在、未来へと流れている」と考えます。
これは「絶対神がビッグバンを引き起こして宇宙を創造し、そこから玉突きするように次々と因果を起こして現在に至っている」古いユダヤ、キリスト教的な考え方に基づく時間観だと言われている。⏰
そして私たちはこれに影響されて時間を考えているのだけれど、ただの古典的な西洋的なモノサシにすぎないという。🕍
一方、古くからの仏教哲学では、「時間は未来から現在、過去へと向かって流れている」とされている。現代分析哲学でもそういう見方があるという。🏞
自分が川の真ん中に上流の方に向かって立っていることを想像してみる。
上流から赤いボールが流れてくる。手を伸ばしてそのボールを取るか否かはあなた次第である。仮に赤いボールを取らなかったとしてみよう。🔴
しばらくすると青いボールが流れてくる。しかし青いボールが流れてきたのは、あなたが赤いボールを取らなかったこととは何の関係もない。🔵
ただ青いボールが流れて来た。それだけのことである。
つまり「赤いボールを取らなかった」という過去は、「青いボールが流れてきた」という未来とは何の関係もなく、過去は未来に何の影響も与えていないということである。
このように時間は川の上流という未来から、あなたが立っている現在へ、そしてあなたの後方の過去へと流れているのである。
それでも、私たちはどうしても過去にちゃんと出来なかったから、それが今現在に影響してしまって、人生が上手く行っていないのだ、と思い込んでしまう。
「そうは言っても、自分は努力が足りなかったから三流大学にしか入れなかったし、今も三流企業でこき使われているのだ」💧
「私はネクラで可愛くないから、学校時代にいじめられて、人間関係に対してトラウマを抱えてしまったから、社会に出ても上手く生きれないし、いまだに結婚する相手だって見つけることが出来ない」💧
という風な思いを抱えている人はたくさんいるかもしれない。
どうしても過去が積み重なってそれが現在、未来へ影響を与えると信じてやまない。
それではこんなケースを考えてみたらどうだろうか?
会社の帰り道にあるものを買いにドラッグストアに寄ったとする。
しかしレジの前には行列が出来ていた。あなたはしばらく列に並んで待っていたが、なかなか進まないので面倒になり、手に持っていた商品を棚に戻して「ついてないなあ。。」と思いながら、別のもっと遠い場所にあるドラッグストアまで行ったとする。
するとその店では欲しかった同じ商品が、先ほどの店よりも2割も安く売っていた。
あなたは「ラッキー!」と思いながら喜んで帰宅した。
このケースを見ると、あなたは一件目の店の行列について「ついてないなあ。。」と思った。
しかし二件目の店では目当ての品物が安く売ってたことで「ラッキー!」に変わった。
これは「未来によって過去が変わった」ということである。⭐
過去が未来をつくるのではなく、「未来が過去をつくる」のである。
私たちは日常的にこのような経験をいつもしているのに、以外と見過ごしてしまっている。
よい未来から逆算してみれば、どんな現在も過去も「よい未来」をつくるために必要な出来事なのだ。
「時間は未来から過去に向かって流れている」
「過去は自分の未来に影響を与えない」
「未来が過去をつくる」
「未来が最高だと確信すれば、過去も現在も最高である」
これが万人に共通する時間の原則であるという。
この原則の通りの時間を理解することで、過去にも現在にもとらわれずに、望む未来をつるくことができるのである。
これを知ったとき、わたしの気持ちは明るくなった。✨
みゆさん (*´∀`*)
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