悩みのすべては対人関係にある ٩(๑•̀ω•́๑)۶
こんにちは、みゆさんです。ヾ(。>﹏<。)ノ゙
私たちは対人関係の中で多かれ少なかれ、必ず傷つくことがある。
しかしそれを怖れていたならば、この世の中で生きて行くことなどできない。
本当に傷つくことを避けて生きたいのなら、悩みのない所へ行きたいのならば、宇宙のなかでただ1人で生きるしかないという。🌠
そんなんじゃとてつもない孤独感に襲われてしまうじゃないか!と思うかもしれない。
しかし、その孤独感もこの世の中に本当に自分1人しかいないとしたら、決して感じることのない感情だという。🐰
私たちが孤独を感じる理由は、自分がたった1人しかいないからじゃない。
私たちを取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると感じるからこそ孤独なのである。🐺
孤独を感じるのにも、私たちは他者を必要とするのである。
淋しくて孤独で仕方がない、という悩みは他人が存在するからこそ生じる悩みなのである。
本当に1人だったら、孤独という概念すらない。🙁
もし無人島で一人きりで生活していて淋しいと思ったとしても、それは遠い海の向こうにいる「誰か」を考えるからである。
「人間関係の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とアドラーは言っている。
”お金がなくて苦しい”という悩みも、お金を自分よりも多く持っている他人と比べ、その人たちよりも自由に使えるお金のない、貧乏な自分を惨めに思ったりすることが根源であることが多いし。
”友人や恋人がいない”という悩みも、友人や恋人を持つ他人と比べて、自分が変なんじゃないかとか、自分には何かが欠乏しているんじゃないか、という考えが種であることが多い。
つまり悩みには必ず他人と比べている自分という原因があるのである。⚖
仕事が嫌いだという悩みも、職場の人間関係がイヤだったり、仕事の内容そのものが自分に合わないとか、疲れるとかあったとしても、その悩みの本質は、他人にその仕事をやらされていることであり、いずれにせよ他人がすべて関わっている。
劣等感に苛まれるのだって、他人が存在して、それと比べることで生じることだから、やはり他人ありきの悩みである。
つまり「個人」というのは、他者がいなければ存在しない概念だということになる。
他人がいなければ自分もいない。🦉
自分という「個人」はあらゆる他者との繋がりから生まれている概念なのである。
そう思えば、決して1人になることなど出来ない、他者との関係から逃れられないというのなら、それを受け入れて、いちいち悩んでも仕方がないということだ。
「自分は自分」という考え方で、他人とは比べずに、我が道を行く生き方が1番楽でいいのかもしれない。
みゆさん ╭(๑•̀ㅂ•́)و
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