不幸自慢はある種の優越感 ( ꒪⌓꒪)
こんにちは、みゆさんです ( ´・ω・`)_且
前回は自慢をする人は劣等感が強いという話をしましたが、違ったタイプの自慢である不幸自慢は、劣等感そのものを先鋭化させることによって、特異な優越感に至るパターンだという。☹
だいたい人は、自分の不幸な話などあまり他人には話したくないものである。
しかしある人々は、生い立ちや自らに降りかかった不幸を、まるで自慢するかのように語る。👄
そして私たちがその人を慰めようとしたり、良い変化を促そうと善意で解決策を一緒に考えようと試みても、聞き入れようとせず、「私の気持ちなんて誰もわからない」というような態度で救いの手を払いのける。👋
この人たちはなぜこのようなことをするのかというと、不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるということにおいて、人の上に立とうとするからである。
例えば、あなたが子供時代に貧しく劣悪な親の愛情のない環境で育ち、慢性の心の病を抱えていることを嘆いていると想定しよう。
そんな時に優しい他者は、苦しみや悲しみに共感し「あなたの存在自体が素晴らしい」と慰め励ましてくれると思う。
しかしあなたは「恵まれた環境で育つことができたあなたたちに私の気持ちなんてわかるわけない!」と拒絶する。
そうしたらもうそれ以上誰もあなたに何も言えなくなり、周囲の人間は皆まるであなたを腫れ物に触るようにして、慎重に扱うようになるだろう。
そうすることによって、あなたは他者よりも優位に、そして「特別」になることができる。
こんな経験はないだろうか?よく病気になったり怪我をしたりした時に、病気による痛さや辛さはあるけれども、なんとなく自分がいつもとは違う「特別」な存在になったような、周りの人が気遣ってくれることがちょっと嬉しいと思うようなことが。
このようなケースは誰にでもあることだけれど、不幸自慢をする人は、自らの不幸を武器に相手を支配しようとする。😈
自分がいかに不幸で、いかに苦しんでいるかを訴えることによって、家族や友人などの周囲の人を心配させ、言動を束縛し、支配しようとするのである。
じつは引きこもりの人たちにもこのような人が大勢いるようだ。
実際に心理学者のアドラーは、”弱さは時として非常に強くて権力がある”と言っている。
だから「赤ん坊」はある意味最も強い存在だというのは面白い話だ。👶
なぜなら、赤ん坊はその弱さによって大人たちを支配しているし、その弱さゆえに誰にも支配されないからだそうだ。
自分が「特別」でいたいがために不幸を武器にして生きている人は、永遠に幸せになってはいけないわけで、一生不幸が必要になるというわけだ。
珍妙な人たちだと思うけれど、わからなくもない話だとも思う。😐
でも他者を支配するために、不幸であり続けることを選ぶのってやっぱ違うと思う。
人は生きているかぎり幸せを追求してゆくべきだと思うんだけどね、どんな境遇であったとしても。
みゆさん σ(´Д`●)
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