他人ではなく自分と競争する ╭(๑•̀ㅂ•́)و
こんにちは、みゆさんです ٩(๑´0`๑)۶
私たちは誰でも、心のどこかで他者より優れていたいと思うものである。
その気持ちの強い人は、他者を押しのけてでも上に昇ろうとする。
これは他者と競争しながら生きてゆくということである。🥇
しかし他人と自分はまったく違う存在であり、身体の特徴も能力も育った環境も何もかも同じ所などない。
そんな者同士が互いに競争しあっても仕方がないような気がする。
1本の道を他人を追い越せ追い抜けとか、1本の階段で他人を蹴落としながら昇っていくような、他者との競争は実に虚しく意味のないことのように思える。😩
そのような競争ではなく、本当にいいのは「同じ平らな地平に、前に進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる」というイメージの世界である。
進んできた距離や歩くスピードは人それぞれにちがうけれど、みんな等しく平らな場所を歩んでいる。
誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいということである。
他者と自分を比べる必要はないということだ。
そんなこと言ったって、どうしても他者がそばにいたら比べてしまうし、劣等感だって持ってしまうことは避けられない、そう思う人も多いだろう。
人はいつでも成長し続けたいと思うし、常に高みに行きたいと自然に思うものだから、他者と比べて自分はダメだと劣等感を持ってしまうのは仕方がない。
ならば、比べる対象を他者ではなく「理想の自分」にすればいいのである。
自分が描いた「こうなりたい」と思う理想の自分と比較して、今の自分に劣等感を抱くのは健全なことだという。🌺
私たちは1人1人何もかも違う。性別、年齢、知識、経験、外見、性格、育った環境、身体、これらの組み合わせすべてが自分とまったく同一の人など他にどこにも存在しない。一卵性双生児であってもどこか少しは違うものである。
他者同士には必ず違いがあるということを認める。
しかし私たちは「同じではないけれど対等」である。
人に上下の区別はなく、すべての人間は「同じではないけれど対等」なのである。
学校の勉強のテストで100点を取れる人が、20点を取る人よりも価値があるわけではない。
容姿がかっこよかったり、美しかったりする人が、そうでもない人よりも価値があるわけではない。
会社の社長が平社員よりも価値があるわけではない。
人間の価値とはこれらのようなことでは決められるはずはない。
そうなると、大人と子供も人間としては対等であるということになる。👩🏻👧🏼
大人は子供を子供あつかいするのではなく、人間扱いするべきなのである。自分と同じ人間として真摯に向き合うということだ。
だから私たちはお互い縦の軸を上に昇って進む人生ではない。
平らな同じ地平を前進して生きる人生である。
縦の軸の空間が存在しない地平ならば、となりの人が自分よりも前に進んでいたとしても「関係ない」のである。
誰が前へ歩いていようと後ろへ歩いていようと自分には関係ない。
自分は自分の道を、今の自分よりも前に進もうとすることに価値がある。
誰かと競争するために人生ではない。
そうすると、あらゆる世の中の競争から自由になり、自分が自分の望む人生を思うように自分のペースで歩むことが出来るということだ。🌟
確かにスポーツの一流アスリートたちは、他者と競争しているのではなくて、いつも自分自身と戦っているということをよく聞く。
現在の自分を超えるというのは実は結構むずかしくて努力がいることなんだと思うけど、それこそが本当の成長であり、喜びなのだと思う。
みゆさん ( •ॢ◡-ॢ)-♡
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