みゆさんのブログ

生きづらい独身女性たちの自由と平和のためのブログ

上手くいった自分だけではなく、失敗した自分もイメージする |д・)

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こんにちは、みゆさんです ( ꒪⌓꒪)

今までここのブログで何度も書いたことがあるけれど、もしなりたい自分像や、こうなりたいという未来を叶えたいと思うならば、頭の中でその情景を在り在りとイメージして臨場感を持って、あたかもそれが今すでに起こっているかのように体験する。

ここまでは以外と誰でもできることだし、特に空想癖、妄想癖のある非リア充さんたちは、ポテンシャルがあるのではないかと思う。

しかし、ほんとうに自分の希望を実現させたいと思ったら、これだけでは不十分なのだという。

まずはなりたい未来の状況をさらに詳細に、2倍にも3倍増しにして臨場感を高める。

例えば、起業して新しい商品をどんどん開発していく人になりたいという夢があるならば、自分が舞台の上でプロジェクターの画像を背に聴衆の前で新商品の発表のプレゼンテーションをしている情景をイメージする。

その時の自分が喋るマイクの音量や響き、舞台の床の感触、靴音、プロジェクション画像の光、聴衆の拍手の嵐、笑顔に包まれる様子、などを、何倍もの臨場感をもって大げさに想像するといいらしい。

そして社長の部屋でリクライニングチェアに座ったときの感触、その時の心地よさを存分に想像する。

しかし、これだけではまだ足りないのである。😮

問題なのは次のステップで、それは上記の同じ手法で「なりたい自分」になりそこねた、つまり失敗した自分をイメージする作業である。

これはまったくむずかしいことではないのだが、イヤがる人はイヤがる。

私も失敗した自分を臨場感を上げてイメージするのなんて、出来ればやりたくない。😰

なぜならば、自分が生まれてから今まで失敗ばかりの人生だったから。

一般的な自己啓発の本とかセミナーなどでは、「成功した自分を強くイメージしなさい」といわれるのは普通である。

でもその逆をやれといわれることはほとんどないし、現にそれをやったら、そのネガティブなイメージが現実化して不幸な結末を引き寄せるのではないかと心配してしまうのは無理もない。

しかしながら、それは間違いなのである。👆

物事にはすべて裏表があるのだから、成功と失敗が起きる確率は半々のはずであり、成功だけではなく失敗することも想定しておかないと、臨場感としては不十分なのだという。

成功が「ある」場合と「ない」場合をワンセットで認識できる視点を持つだけで十分なのである。

その抽象度で改めて、なりたい自分の姿、成功イメージを記述するのである。

成功が「ある」場合と「ない」場合の2つのパターンを認識し、その上で自分の意思で「ある」を選択することで、思い通りの自分になる記述が有効になるのだという。

こんなことをしても私たちが臆病になる必要などまったくない。ただイメージを否定形にすればいいのである。なぜならば、脳というのはバカ正直であり、いくら「ノー」とか「ノット」の否定形をつけて思考しても、肯定形でしか受け止めないという。

例えば、

「かじるとジューシーで甘くておいしい果汁が出てくる、赤い新鮮なリンゴを思い浮かべるな!」🍎

と否定形で言われたとしても、脳は自動的にそれを思い浮かべてしまう。

つまり、したがって、否定形でイメージすることは同時に肯定形をイメージすることでもある。

何のリスクもないのである。

だから、「起業しようとしたけれど、できなかった」、「新商品を開発しようとしたけれど、アイデアが思い浮かばなかった」、「プレゼンテーションをしたけれど、聴衆に受けなかった」「社長になろうとしたけれど、なれなかった」。。。

などと、否定形と肯定形とセットで思い浮かべればいいのである。

成功パターンをやったら次は失敗パターン、というふうに何度か繰り返し行っていると、自然と両方を同時に感じる視点ができあがり、自分が完全にコントロールできるゲシュタルトをつくりだしたことになる。

そこに「なりたい自分」の絵をガツンと描いた瞬間、未来といまとの縁起が結実し、内部表現に記述した「なりたい自分」に向かって、無意識のうちにベストな選択をしながら生きる人生が手に入るという。⭐

じつは常に物ごとを考えるときに「ある」と「ない」を包含する抽象度でみると、自分が本当にやりたいことや好きなこと、気持ちいいことがどんどんわかるようになるらしいのだ。

そして人目や世間体などを気にするあまり自分の本意ではないことをしてしまう、ということがなくなるという。

むずかしい話ではあるけれど、何ごとも世の中の森羅万象は表と裏、正と負、オンとオフ、プラスとマイナス、のように必ず2つの面があるものだから、「世界」を知る、「宇宙」を知る、ということは、それを認識するということなのは当然だと思う。

どんなに自分がこうなりたいと思う未来を否定するイメージをしたって、どうしても肯定する方を選んでしまう。

むしろ失敗した自分になんてなるもんか!って気持ちが湧いてきて、余計頑張りたいと思うような気がする。

少しの怖さはまだ残るけれど、やってみようと思う。

 

みゆさん ( ´・ω・`)

 

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