みんな「他人」を生きている (。-ω-)ノ
こんにちは、みゆさんです。(。-ω-)ノ
人は生きている中で、「これが重要だ」、「あれが重要ではない」、「このようになりたい」、「こうなりたくない」、などの価値観があるが、これはすべて「他人のものさし」で決めている。📏
自分でそう決めたのではなくて、外部からインプットされたものである。
何かを判断するときに、人の性別だとか年齢だとか国籍だとか学歴だとか職業だとか、そのようなものを気にするというのは、自分が元々持っているモノサシではない。多くの場合は親からの刷り込みだったり、学校の先生だったり、環境で関係してきた他人からの影響である。
生まれたての赤ちゃんが「年齢が大事」などとは考えない。赤ちゃんはまったく真っさらな状態でこの世に出てくる。👶
成人が無意識に下す判断のうち、8~9割がものまねであると言われている。
最近の小学生のなりたい職業のトップは「公務員」だそうだが、これはどう考えても親の刷り込み以外考えられないだろう。「公務員は安定していていいわね」などの夫婦間の会話を又聞きしているうちに影響を受けている可能性が高い。また女の子に多い「専業主婦」というのも、母親の「専業主婦の方が楽だし子育てに専念出来るから」と刷り込んだ結果であると思われる。
親や学校の先生や直接関係のある人たちからだけではない。それ以外の直接関係を持たない人や物からも、私たちは他人のモノサシを刷り込まれている。📏
それは広告やテレビなどのメディアである。📺
先ほどの小学生のなりたい職業の話に戻るが、今ではそんなことはなくなったが、何年か前に小学生の女子がなりたい職業の上位になんと「水商売のホステス」というのがランクインしていたのをご存じだろうか?
その時期は、キャバ嬢ファッションを掲載した「アゲハ」などの雑誌が人気で、テレビでも積極的にキャバ嬢について取り上げていたり、ドラマの題材にもされていた。その刷り込みもあってか影響されて、子供たちの将来の夢がキャバ嬢になっていたわけだ。
メディアの影響力というのは強力で、なかなか抗うのはむずかしいかもしれない。
例えば、あなたが今持っている洋服に満足していたとしても、「今年の流行の洋服を着た人物が素敵な出会いでハッピーになる」というストーリーの広告を目にしたときから、あなたは今持っている洋服が古くさく、みすぼらしく思えてくるかもしれない。
自動車のCMも同じで、幸せそうな家族と犬を乗せた車が海岸沿いを走るという宣伝を見るとき、無意識に「幸せ」と「車」を頭の中で結びつけているという。
本来なら自動車と幸せは何の関係もないのに。💧
一眼レフのカメラの宣伝でも、一眼レフを買って写真を撮ると毎日が楽しくなる幻想を抱く。
しかし一眼レフを買ったからといって毎日が楽しくなるとは限らないのに。💧
このような例は枚挙にいとまがない。
だからテレビを観すぎるのは、必要ではないものを買わなければいけない気持ちにさせられる機会が多くなるということだから、かなり危険なのである。
こうして私たちは常に外部からの価値観、モノサシの刷り込みにさらされている。
つまり自分自身の価値観だと思い込んでいるものが、実は他者から刷り込まれた価値観であり、自分のモノサシで生きていると思いながら、本当は他人から与えられたモノサシで生きているのである。
実際の社会には、学歴が大事と刷り込まれ、いい大学に入って大きな会社に入ることが大事だと思い込んできて、努力の甲斐あって、一流大学、一流企業に入れたものの、モヤモヤしながら生きている人がすごく多いのだという。
なんとなく満たされない。なんとなく不安。大事な何かが欠けている。生きている充実感がない。😨
いまの職場ではモヤモヤして仕方がないから、転職を決意して、一生懸命勉強して資格を取りレベルアップして、新天地で新たな人生をスタートさせたい!と思い、努力してそれをいざ実現しても、モヤモヤはまだ晴れない。☁
最初はモヤモヤが消えたと感じるが、それはただ初めての仕事で緊張するとか、すべての目新しさでごまかされているだけで、慣れてくると飽きがでて、また元のモヤモヤ状態に戻るのだ。
MBAを獲ったら一躍ビジネスエグゼクティブになれると思って頑張ったのに、晴れてMBAホルダーになっても、何も変わらない自分に気づく。
結婚するなら高学歴、高収入のイケメンと結婚したいと思い、その通りの相手と見事結婚出来たのに、結婚生活は不満だらけ。
欲しいと思って買ったものなのに、いざ買って手にしてみると大して嬉しくないから、使わずに放置し、そのようなもので溢れている家。
これらの例はすべて刷り込みの結果である。
他者からの刷り込みをもとに思考し、行動し、その結果で頭をモヤモヤでいっぱいにする。私たちはそれを繰り返しているのである。
モヤモヤの原因の1つはまさに「他人のモノサシ」で生きていることである。
誰でも自分自身の人生は自分のモノサシに従って、自分自身の意志で生きてゆきたいと思うものだけれど、他人のモノサシで頭がいっぱいになってしまっているから、心底幸せにはなれないし、そのままでは一生頭の中が曇っている状態で生きて行くことになってしまう。
だから頭をクリアにするには他人のモノサシというゴミを捨てて、頭の中を快晴にすることが不可欠なのである。🌞
それには自分の欲望に正直になり、それを否定しないことから始めることだ。
みゆさん (。-ω-)ノ
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ネガティブな感情の波のもとを止めて観る ٩(๑•̀ω•́๑)۶
こんにちは、みゆさんです。٩(๑•̀ω•́๑)۶
さて、もしどうしても感情が波立ってしょうがないときはどうすればいいのか?
そのような時は、その波のもとが何であるかを「止観」するといいらしい。「止観」とは内省的に吟味するという意味である。🙏
そもそも感情が暴走してしまうということは、暴走の始まりを認識出来ていないからだという。
常にそれを意識さえしていれば、コントロールして暴走を防ぐことが出来るのである。
例えば私の場合は、販売の仕事で飲み物の試飲をお客様に配ることがあるのだが、その際、学生とか若い人たちが、ただ試飲を飲むことだけが目的で来店し、散々試したあげく、終わったら礼の一言も言わずにカップをゴミ箱に投げ入れ、さっさと帰ろうとすることにかなりの怒りを感じる。🍷💥
そんな時にイライラが強いと、彼らに対してつい険のある態度で接してしまい、嫌みなことを言ってしまうことがあるが、これはまさしく感情が暴走している状態と言えるだろう。🚀
そんな時は、「自分はどうして腹が立っているのだろう?」と客観的に考えるのである。
無意識に反応的に、出来事を怒りの感情で捉えてしまうことが問題であるのだから、感情の動きを意識に上げて、出来るだけ詳細に、分析的に、その感情の動きの理由を考える。
「こんなに腹が立つのは、自分よりもずーっと若い学生になめられているような気がするからだ」、「これがもっと地味で謙虚で年が上の人だったら、ここまで気にならないだろう」、「こちらの店が何でも試飲していいよと誘っているからそれに応じて客は入ってきているだけで、彼らに悪気はない」、「脳天気で楽しそうな若者を観ると、自分の学生時代の嫌な思い出とか彷彿させるから、根っこにその年齢の学生に対しての憎しみがあるのかもしれない」、「しかし目の前にいる若いお客さんは、自分の過去とかに一切関係のない人なのだから、その人たちの行動にこだわるのはおかしいし、意味がないことである」、「ひとそれぞれ考え方も違うし、善悪の判断も違うし、気にしても仕方がないな、こんなことで腹を立てるなんてエネルギーのムダだな」。
という具合に止観してみると、いつのまにか怒りの感情は収まっている、という風になる。
また職場の同僚から、仕事のことで見下すようなことを言われて腹が立った時、「こんなに腹が立つのはライバル視しているあいつに言われたからだ。もしも意識していない他の人に言われたなら、こんなに気にならないはずだ」、「あいつと自分ではタイプも仕事のやり方も違う。自分は自分のやり方で仕事をやればいいんだ」、「ちょっと嫌みを言われたくらいで腹を立てるなんて、自分らしくないな」、という具合になってゆくのである。🌅
このように、腹が立ったからと言って即反応して、相手を攻撃する行動に走るのはとてもリスクがあることであり、それによって自分にとって大切な何かを失うこともある。
だから腹が立ったら「止観」する。👀
「止観」によって自分の感情の動きを止めて観るということは、「抽象度の上がった世界から眺める」ということであり、努力なしで自然に感情がコントロールされるのである。
怒りや悲しみなどのネガティブな感情と付き合うのは本当に骨が折れることであり、辛いものである。
自分も今まで生きてきた中で、数え切れないほど感情に振り回されて、多くのものを失ってきたと思う。
だからこそ、ここで気がついたのだから、頑張ってこの「止観」を習慣にしていきたい。🍁
みゆさん ╭(๑•̀ㅂ•́)و
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ゴールを持つことで頭のゴミが消える ╭(๑•̀ㅂ•́)و
こんにちは、みゆさんです ╭(๑•̀ㅂ•́)و
頭の中の感情のゴミを捨てたければ、ゴールを持つことである。🥇
そして常にそのゴールのために行動することである。
ゴールとは自分が重要だと考えている目標や目的のことである。
目的や目標があれば、それに合せて視点が上がるはずである。👀
それは抽象度が高くなるということなのだ。
ゴールの実現のために、マイナスな感情に振り回されることもなくなる。
心底実現したいことがあるときに、細かな人の言動や環境についてのことなど、気にならなくなるはずだ。😐
目の前のプレゼンを成功させることが重要だと思っているならば、同僚に嫌みを言われて気分が悪くなったなどとは言っていられない。色んな感情を乱される出来事があったとしても、1番大切なことはプレゼンを成功させることだから、それに向かって努力と準備をすることに意識を集中させる。だからそのことに関係のない感情に振り回される暇がないので、結果的にプレゼンの本番ではパフォーマンスを落とすことはない。
ゴールを持つということは、それだけで強いのである。💪
他にも例えば、英語をある程度話せるようになって、1年後に外国へ1人で旅行する、というゴールがあるのならば、とにかく英会話をマスターすることが重要になり、そのために日々勉強に没頭しなければならないから、意識は完全にそっちを向くことになる。それだから日常的に起こる多くのめんどうくさいことや、人間関係のことなどで、感情を乱されることもずっとずっと少なくなる。
しかし実際社会には、目の前の目標すら持たずに毎日漠然と過ごしている人が多いのではないだろうか?。💧
外国語を習得する、今関わっているプロジェクトを成功させる、資格試験に合格する、料理が上手になる、ピアノやバイオリンなどの楽器演奏を上達させる、会社を起業して成功させる、プログラミングをマスターしてゲームを完成させる、好きなスポーツを上達させる、恋人を作る、家庭菜園で美味しい野菜を育てる、など
とにかく何でもいいのでゴールを持ち、それに意識を向けて、それに向かい進んでゆくことが、感情のゴミを一掃する手段なのである。
いつも嫌なことがあるとその気分を引きずってしまう、気分の切り替えが上手く出来ない。そう思ったら、自分がゴールを意識して生きているか?ゴールのために行動しているか?と自問するべきである。
ゴールがないから、一瞬一瞬がゴールのためではないから、感情に振り回されてしまうのだ。
まずはゴールを設定することが、日頃の感情の波によるフラストレーションを解消する最高な方法なわけだから、とりあえず小さなことでもいいから、何か目標を持つことが大切なのである。🌟
みゆさん ╭(๑•̀ㅂ•́)و
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抽象度が低い人ほど感情に支配されるσ(´Д`●)
こんにちは、みゆさんです σ(´Д`●)
前回は感情に支配される人のことを書きましたが、感情に支配される人とは「抽象度の低い人」なのだそうだ。
さて、みなさんは「抽象度」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
万物は情報量の多さによって階層化出来ると言われている。
例えば;「Aさんという人⇒人類⇒ほ乳類⇒動物⇒生物」という風に情報量の多いものから少ないものへと積み上げてゆくとすると、情報量の多い状態を「抽象度が低い」といい、情報量の少ない方を「抽象度が高い」という。
つまり個人であるAさんについては、年齢だとか性別だとか性格だとか出身地だとか仕事だとか身長体重がいくつだとか、細かい情報が多くあるが、人類だと個人のAさんよりも情報が少なくなる。
つまりこの場合、”Aさん”よりも”人類”の方が抽象度が高いということになる。
「抽象度」とは「視点の高さ」と考えてもいい。👆
Aさん⇒〇〇家⇒東京都民⇒日本人⇒人類⇒生物 👧🏻🐇🐍🌲
の階層があるとすると、Aさんの視点は自分だけの視点であり、日本人全体の視点よりもずっと低い。つまりこれが”抽象度が低い”ということである。
別の例を出すと、
職場のあなた⇒部門のあなた⇒会社のあなた⇒業界のあなた⇒日本のあなた⇒アジアのあなた⇒人類のあなた
という風に抽象度が上がるにつれて、視界が広くなっていく。🌍
すると抽象度の低い人は低い視点でしかものを見れないから、今この瞬間の「会社でイライラさせられている自分」のことしか見えず、イライラしたり感情に支配されやすいということになる。
”自分が、自分が”の視点ですべてを見るので、視界が狭いのである。🤔
これが抽象度を高くして、もっと視野を広げ高い視点で物事を見るようになると、一個人から職場、部門、会社と視界が広がってゆくので、「自分が感情的だと後輩の教育に悪いからしっかりしよう」とか、「この部門には自分よりももっと頑張っている人がいる」とか、「会社の経営状況が厳しいから、みんなイライラしがちなんだ。私がムードメーカーになって士気を上げよう」などのことを考えられるようになるから、感情から受ける影響を抑えられるようになる。
何かイライラするようなことが起きたら、自分よりも仲間や家族、仲間や家族よりも地域、地域よりも県、県よりも国、国よりもアジア、アジアよりも世界。。。という風に視点を上へ上へと上げて抽象度を高くした状態で物を考えると、感情的にならずに解決することが出来るということだ。🙄
しかしこれがなかなかむずかしくて、目先の情報に追われ、整理することなく生きている人がほとんどで、抽象度の低い状態で生きているのが現実だ。
だから多くの人は感情に支配されやすいし、だからこそ世の中がイライラ、ギスギスした居心地の悪い社会になってしまっている。🤢
感情はただの生体反応にしかすぎないのに、それに振り回され、不快な経験をして頭の中に感情のゴミをどんどん溜め込んでゆく。
感情のゴミはぜひとも捨てるべきだ。✊
私はこの頭の中に相当量溜まっている、今までの人生の中で振り回された怒りや悲しみなどの感情のゴミを、すべてまるっとゴッソリ捨て去ってしまいたい。🗑
それには抽象度を上げて、感情の支配から抜け出さなければならないのだ。
アンガーマネジメントが苦手な自分にはこれは課題である。
みゆさん σ(´Д`●)
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感情という頭のゴミ (๑•́ ₃ •̀๑)
こんにちは、みゆさんです (๑•́ ₃ •̀๑)
感情的な人の脳は、サルやゴリラのレベルだと言われている。🐵🦍
コンビニのレジが長蛇の列で並んでいてイライラしたり、職場の同僚の態度が気にくわなくてムカついたり、電車を乗り過ごして焦ってパニックになりオロオロしたり、仕事でのミスを指摘され叱られてショボンと涙目になったり。。。
このように、人間は感情から強い支配を受けているのである。💥💦💧
不都合なことがあると怒りにとらわれ、理不尽なことがあるとショックを受け、思考と行動が感情に左右される。
そしてその感情の波立ちによる思考と行動の乱れをコントロールすることが出来ない。
私たちが感情に支配される理由に、感情をつかさどる大脳辺縁系の扁桃体と呼ばれる場所が関わっている。
扁桃体を含む大脳辺縁系は人類の脳が進化する前の古い脳である。
ここは生命を維持していくために必要な感情をつかさどる所で、本能的な恐怖や嫌悪や悲しみなどがそれにあたるという。
一方、論理的な思考や理性をつかさどるのは、前頭前野と呼ばれる部位で、これは後から進化して出来上がった所だという。
世の中には感情をよくコントロール出来る人と、簡単に感情に左右される人とがいるが、前者は前頭前野が発達したより進化した人間であり、後者は古い脳に支配されている人間なわけだから、より原始的であり、進化の度合いで言うとゴリラやサルに近いということになるだろう。🐒🦍
しかし感情を持つことそのものが悪いというわけではない。
感情に支配されて振り回されるという状態は「感情にひたる」ことが原因であり、この「感情にひたる」ことがむだであり、ゴミであるということだ。
失恋して恋の痛手にひたり、失敗して挫折の感情にひたる。💘💔
これらは一見情感豊かな人間らしい表現で、良いことだと思われがちだが、実際は環境の変化によって生じる生体反応にすぎず、小さい子供がさっきまで笑っていたかと思うと泣き出したり、お菓子を与えたらまた笑い出したりというように、環境の変化によって感情も変化するということである。
感情は、暑いから汗をかく、寒いから震えて歯をカチカチ鳴らす、という生体反応と何ら変わらないものだという。
いらだちや焦りや怒りなどの感情も単なる生理反応で、環境に応じて条件反射的に出てきてしまうものである。
だからそんなものに心を支配されて、ひたり、いちいち振り回されてしまうことが「ゴミ」なのであり、「抽象度が低い」ことなのだ。😑
確かに暑いから汗をかいたり、寒いから震えたからといって、私たちはそれを当たり前に思うし、それほど気にしないのに、他のイライラとか焦りとかの感情には振り回されてしまう。同じ生体反応なのに。
そう思うと、少し心が楽になるかもしれない。深く考える必要はないのだ。
ただの条件反射なんだと思うと、イライラや怒りも収まりも早くなるかもしれない。
みゆさん (๑•́ ₃ •̀๑)
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やる気スイッチは必要ない ◟꒰◍´Д‵◍꒱◞
こんにちは、みゆさんです ◟꒰◍´Д‵◍꒱◞
みなさんは”やる気スイッチ”、なるものをお持ちだろうか?
”やる気スイッチ”とは、勉強や仕事などのやるべきことに取り組む気になれない際、状況を打開して積極的な気持ちを鼓舞する契機のようなもの、という意味で用いられる表現である。
私のやる気スイッチは、コーヒーである。☕
なんか仕事や勉強に集中出来なくなってきたなあ、だれてきたなあという時には、必ず一旦立ち上がって、コーヒーを入れに行く。
他にも喫煙する人ならばタバコを吸いに行く。🚭
ミント系の味のガムを噛む。🌿
外に散歩に出かける。🌳
”上がる”音楽を聴く。🎧
ストレッチや軽い筋トレをする。🤸♀️
顔を洗いに行く。🌊
歯を磨きに行く。 👄
など人によって色んなやる気スイッチがあると思う。
やる気スイッチは気分転換に役立ち、このスイッチを押すような行動をすれば、眠気が覚めたり、モヤモヤとした気分やイライラとしたスッキリしない気分を吹き飛ばして、文字通りやる気を起こすことが出来ると私たちは信じている。
だがしかし、怠さや集中力のなさや眠気やモヤモヤとかイライラなどを解消して、やる気を起こさせるはずのこの”やる気スイッチ”は、実はそれらの目的の解消には役に立たず、必要のないものらしいのだ。😥
ある出版社に1日に何度も歯磨きをする編集者がいて、仕事の集中力が下がったり、眠くなったり、考えがまとまらなかったり、腹が立ったりすると、席を立ちトイレに行き、5分くらい歯を磨くという。
すると頭がスッキリして仕事がはかどるようになるというのだ。
多いときには1時間に1回のペースで、1日に10回歯を磨きに行くという。
そうこの人にとって歯磨きは、ダレてきた気持ちをリセットするという意味の「儀式」であり、歯磨きをすれば集中して仕事を再開出来たり、スッキリしない感情をクリアに出来る、”やる気スイッチ”だと信じ込んでいるのである。
しかし、これは「気分がダレる」⇒「歯磨きをする」⇒「また頭がゴチャゴチャしてくる」⇒「歯磨きをする」、という無限ループに陥ってしまっているということを、本人は気づいていない。😱
歯磨きや顔を洗うとか、ストレッチや筋トレや散歩ならば、その行為自体は健康に良いことだからまだいいだろう。
これが喫煙やコーヒーやお菓子などを取ることがやる気スイッチだと、依存性が高い故に健康を害してしまう恐れがあるのだ。
本当に必要なことは、仕事中にダレてしまったり、イライラやモヤモヤとした気持ちを抱えてしまうこと自体を根本的に解消しなければならない。👆
やる気スイッチは単なる対症療法であって、根本的な解決にはならない。
そもそもその仕事や勉強などが好きではない可能性があるし、感情的なストレスを抱えている可能性があるから、そちらを解決する根本治療が必要になる。
やる気スイッチに頼りきっている人は、頭の中がいらないゴミでいっぱいになっている。
頭の中のゴミを根元からごっそりと捨てるのが根本的な治療法になる。
まずは多くの人が抱えている「感情のゴミ」から捨てるべきだろう。
次の記事でこのことについては書く予定である。
みゆさん ◟꒰◍´Д‵◍꒱◞
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自己チューな人ほど深く傷つく( ꒪⌓꒪)
こんにちは、みゆさんです |д・´)
大人になると心の中は傷でいっぱいである。🤕
幼少期や思春期でたくさんの傷を負ってきたばかりでなく、その傷を引きずり影響して、さらに青年期、壮年期に入ってからも何かしらの傷を負ってゆく。
心の傷から生じる感情に振り回されている大人が多いのはそのためだという。
それは現代社会に様々な問題を引き起こしている要因にもなっている。
私たちは生きている限り心に傷を負うのである。😰
他人から心無いことを言われ、ショックな出来事に遭遇し、年を重ねるほど心の傷は増えて行く。
人によってはPTSD(心的外傷後ストレス障害)という、「トラウマ」を抱えてしまうこともある。💔
さて、人は誰でも少なからず心に傷を持っているものですが、それがトラウマとなって心の病を引き起こすこともあれば、病とならずに癒えてゆくこともある。
その違いは一体何なのだろうか?
ここから先の意見は少し賛否両論があるかもしれないが、心の傷がトラウマになるか否か、うつ病などの病気を引き起こすか否かは、出来事そのものの大きさとは関係がないという。
実際、ものすごく衝撃的な出来事に出くわしても、トラウマになる人とならない人がいる。
その違いは「本人にとっての理不尽度の違い」である。
何か衝撃的な出来事が起こった時、「とてつもなく理不尽だ!」と感じる人と、「ちょっと理不尽だな。。。」と感じる人では、出来事の受け取り方が違い、理不尽さを感じる度合いが違うのである。
理不尽度の差を生むのは、自己責任感の大小だと言われている。
ショックな出来事に対して、「自分にも責任がある」と感じる人にとって、その出来事の理不尽度は小さく、反対に「自分には責任がない」と感じる人にとって、理不尽度は大きくなる、ということだ。
つまり、ショックな出来事に対して「自分にも責任がある」と考える人は心の傷が深くならない。
一方「自分には責任がない」と考える傾向のある人は心の傷が深くなりやすいということである。👆🏼
例えば、職場でキレやすい先輩が仕事をあなたに丸投げしてきたとする。しかしあなたは自分の仕事で一杯一杯で、先輩の仕事を引き受けると土日をつぶさなければならなくなるとする。そこで先輩に対して「今自分の仕事で手一杯でして、他の人に頼んでもらえませんか?」と断りを入れたとする。
するとキレやすい先輩は急に怒り出し、「オレだっていつもお前の仕事を手伝ってあげているじゃないか!!オレに向かって何様のつもりだ!!!」とキレてしまう。
そのキレ方があまりにも激しいので、あなたはトラウマになりそうなほどショックを受けてしまう。
そんな時二通りの反応の仕方がある。
1つは、心に傷を受けながらも「こっちの状況を考えず無茶ぶりしてくる先輩が悪いだろ」と、「自分には責任がない」ことを前提に相手を責めるパターン。
もう1つは、相手を責めたい気持ちをグッとこらえ、「先輩も忙しくてイライラしているんだな。確かに自分の方も先輩に手伝ってもらってることもあるし、お互い様だよな」と客観的に状況を見ようと努め、自分にも責任があると認めるパターン。
前者はキレた相手に恨みを抱き、心の傷を未来にまで引きずり続けるようになるが、後者はキレられたショックを引きずる可能性はかなり低くなるだろう。
理不尽な状況に遭遇したとき、「なんの責任もないのに自分だけひどい目に遭った」と相手を責めるだけの人は「自己中心な人」で自己チューである。😑
そして自己チューな人は、「自己中心でない人」に比べると、心の傷が深くなりやすいということである。
ただし、夜道で女性が暴漢に遭ってしまうとか、ただ歩いていただけで通り魔に刺されて殺されてしまうなどの、本当にまったく自分に非がなく、どうしたって防ぎようがなかった出来事の場合は、この「自己責任と捉える」という論理は当てはまらないだろう。
そうではなく、日々生活をしている中で、私たちは生きていく以上、様々な理不尽を引き受けて生きていかなければならない。それが生きてゆくということである、ということだ。
今回の記事は、脳機能学者の苫米地英人博士の「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める」という著書を参考にしている。
自分では防ぎようのない事件や事故ならともかく、日常的に起こりうる、あらゆる人間関係から生じる不快な出来事に対して、いちいちショックを受けて、その度に心に傷を負い、トラウマを抱えるなんて、ある意味馬鹿らしいことかもしれない。🤑
出来事の状況を冷静に客観視して、自分にも何か非はあったのかを考えるだけで、いくらかショックな気持ちが和らいだり、心の傷も浅くて済むというのは、確かにうなずける。💡
自己チューの人ほど実は生きにくいということがわかった。
みゆさん |д・´)
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