誰かに怒ったあとの後悔、罪悪感 (><)
こんばんは、みゆさんです。_φ( ̄ー ̄ )
私は時々仕事で客に対して短気を起こす。
こんなことサービス業では御法度であり、決してやってはならないことだと思うかもしれない。
しかし、購入もせずただ試飲するだけなら許せる。ただマナーは守ってくれなければ困る。
基本的に他の店のゴミを店内に捨てることはご遠慮いただいており、注意書きも表示しているのだが、若者の中には店員の目の前でも平気でゴミを入れる者がけっこういる。
もし捨てたいのならばせめてこちらに言ってほしい。
そのような者がいても、普段はイラつくだけで何も言わないが、虫の居所が悪い時はそのゴミを捨てた客に向かって「他のゴミを入れるのはやめて下さい!」とはっきりと怒りを込めて言ってしまう。
そうすると、言った時は怒りの感情があるので、自分のその行いを正当化してしまうが、時間が経つにつれ「ああ、あんなこと言わなくてもよかった〜」と後悔の念と罪悪感が襲ってくる。
それが一番イヤでたまらない。
怒りの感情は自動思考で沸いてくるもので、パターン化されてしまっているものだから、直すことが中々むずかしい。
脳内のプログラミング自体を変えなければ無理だろう。
怒りを覚えるときは冷静ではなく、大体において切り取られた物事の一場面しか見ておらず、その裏にある色々な事情などはまったく見えていないことが多い。
とにかく怒るというのは本当にストレスフルなことであり、健康にとっても害悪でしかない。
頼むから怒らせないで欲しい、イヤミなことを言わせないで欲しい、とワガママを言いたくなる。
しかし悪いのはなんだかんだで自分なのである。
他の人間にどこかで期待しすぎているからそうなるのかもしれない。
人なんぞ基本的にはみんな自分にとっては不都合な存在であり、どんなに気心が知れていたって、仲が良くたって、どっかしらイラッとするところがあるし、面倒くさい部分があるのだ。
だから今まで会ったこともない初対面の客などウザいのは当たり前であり、その人間について何一つ知らないのだから、誤解してイラついて、時には怒りが沸いてくるのは、仕方がないといえば仕方がないと思う。
だからこそ「人は自分の都合のいいようには決して動かない。むしろその逆で、コントロールなど不可能である」ということを頭に叩き込むしかない。
アンガーマネジメントは人間にとっての生涯の課題なのだとつくづく思った。
みゆさん ( *`ω´)
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